2013年1月17日木曜日

チェスキー・クルムロフ

 「何処かにドライブに行きましょう」ドライブ好きな私には、うれしいお誘いを受けました。ウィーン郊外のクロスター・ノイブルグやマイヤーリンクなど、近場に連れて行っていただこうと思っていたので、200キロもある「チェスキー・クルムノフ」は想定外の場所でした。近年、東欧旅行に行った友人たちから「ウィーンに行ってるのなら、チェスキー・クルムノフはもちろん行ったことあるでしょ? 世界遺産だし」と幾度となく聞かれ、その都度「行ったことないわ」と答えなければならず、「何が世界遺産よ、世界遺産はそこらにいっぱいあるわ〜」などとひがんでいました。


 雨のウィーンを朝8時半過ぎに出発、高速に乗ってしばらくすると雪になり、さらに吹雪いてきました。「チェスキー・クルムノフは寒いよ、普段より一枚多く着て行かないといけない」と前の晩にオーストリア人の友人から注意されたのを思い出していました。運転してくださった方は外国生活が長く、スキーがお好きなので、雪道の運転の心配は全くしませんでした。でも吹雪のチェスキー・クルムノフは感心しないので、車中ずっと現地の天気を心配していました。
 ウィーン西部ドナウ河畔の町クレムスで高速を降りると、丘陵地帯が続きます。アップ&ダウンのドライブを楽しんでいると、大きな樅の木の森林地帯に入りました。クリスマス用の小さな樅の木も植わっています。小さな村々を通過するたびに、黄色、緑、青と、色とりどりに塗られた家々の壁を見ては「雪によく似合って美しい!」と同乗者みんなでワイワイ話しているうちに、ふと、雪が止んでいるのに気がつきました。しばらくすると雲間に青空も見えました。青空はチェコに入ると日差しに変わりました。光いっぱいのチェスキー・クルムロフが見えて来た時には、「奇跡のよう!」思わず歓声をあげました。


 クルマを町の入口に停めて、「さあ、町へ」! しかし、冷たさはかなりのもので、ニット帽を被って歩き出しました。



 まず、町の広場のインフォメーションに立ち寄って地図をもらい、ランチを取ろうとおすすめのレストランを聞きました。12時を過ぎていたので、とりあえずそのレストランを探して入りました。ブリキの看板が壁一面に飾られたレトロな雰囲気のレストランです。注文したキャベツのスープは、やや酸味の効いた美味しいスープでした。メインにはダンプリング二種が付け合わせの骨付き鴨肉と、ハッシュドポテトのようなジャガイモ料理を一皿ずつ取りました。いずれもボリュームがあったので、3人で分けて丁度よい量でした。

レストラン店内
ランチを食べたレストラン

 食後、クルムロフ城の塔に登るために歩き出しました。ブルタバ(モルダウ)川が町の中をクネクネ曲がりながら流れているので、城へ行くには橋を渡って行きます。橋はすぐそこなのに、行くまでに少々時間がかかりました。中世の町中には可愛らしい店が並んでいて、ついつい覗いてしまったからです。そんな中、バッグをたくさんぶら下げいる店がありました。娘がトリコロールカラーのバッグに惹かれ、一緒に店に入ると、愛想のよい店のおばさんが一生懸命に英語で気を引こうとします。「セールだからコルナならこの値段、ユーロならこの値段」と大きな電卓をカチャカチャいわせます。それを聞きながら店内を見ていると、ふとグリーングレーのバッグが目に入りました。すると、おばさんはすかさずそのバッグを手に取り、ジッパーがここに、ここにもとバッグを開けてみせます。今回案内してくださった方はお買い物上手で「負けてもらえそうよ」とアドバイスがありました。「二つ買うから負けてよ」「それはちょっと、できない・・・」負けてもらうにはタイミングが大切、おばさんが電卓を叩いて「二つで160ユーロ」と言うから、「150ユーロ」とすかさず言い返すと、しょうがないという様子でOK。

 バッグを二つも手に入れ、次は「エゴン・シーレ・アートセンター」に行きました。エゴン・シーレは夭折したオーストリアの天才画家として知られています。チェスキー・クルムノフは彼の母親の故郷ということでアートセンターがありますが、シーレの作品を最多収蔵しているのは、ウィーンのレオポルド美術館です。チェスキー・クルムロフに来る途中に通過したトゥルン・アン・デア・ドナウ(オーストリア)はシーレの生誕地で、そこにも立派な美術館があるそうです。残念ながら美術館は冬の間はお休みということ、美術館ショップだけ開いていました。ショップで彼の写真を見ながら、ジェームス・ディーンに似ているなと想いました。面影だけでなく生き方も似ています。ジミーは24才の時、ポルシェ550スパイダーで事故死し、シーレはスペイン風邪の大流行の時に28才で亡くなりました。




















 そうこうしながらやっと城の門をくぐり、城内へ。冬期で城内見学はできませんでしたが、塔には登れました。塔からの眺め!寒いけど、wunderbar!




 観光シーズンは人であふれ返っている城下町も冬は歩きやすく、店屋を覗きながらゆっくり歩きました。チェコで産出される緑色の天然ガラス"モルダバイト"とボヘミアンガーネットを売る貴金属店や骨董品屋がたくさん並んでいます。娘は記念にと、モルダバイトとガーネットの小さな指輪を買い求めました。









 ウィーンへ帰る道は、プリウスのナビで行きとは違うルートを走りました。この道もアップ&ダウンのワインディングロード、しかも急な坂道の雪は凍り始めていました。ウィーンに着いたのは6時半過ぎで、すっかり暗くなっていました。心に残るチェスキー・クルムロフ。オーストリア北西部と南ボヘミアへの大遠征の自動車旅行でした。


 南ボヘミアにあるチェスキー・クルムロフは、13世紀に城と町が造られ、手工業と地の利を活かした交易で栄えた中世の町がそのまま残っている美しい町、と観光ガイドには書いてあります。しかし、中世の城下町がそっくり残された背景には、19世紀から20世紀にかけて町が味わった辛苦があったのです。産業革命から取り残され、第一次大戦の後はハプスブルグ帝国から独立したものの、ドイツ系とチェコ系の民族間の緊張が続きました。その後、ナチスドイツによる併合で町が破壊され、第二次大戦後は共産主義による伝統文化否定によって町は荒廃しました。1960年のプラハの春以降は次第に歴史的建造物の補修が行われるようになり、1989年のビロード革命後は町の景観が再認識され、1992年に世界遺産となりました。

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