2013年6月28日金曜日

縄文 Jomonの日々

 6月に入ってからは毎日がJomonの日々。それは、6月2日浅間縄文ミュージアムで開かれた「縄文人は芸術家」というスライド&トークに出かけたことから始まりました。小川忠弘というプロカメラマンが10年以上も縄文の土偶や土器を撮り続けて、「縄文美術館」という写真集を出版したので、そのスライドを見ながらの話でした。小難しい学者の話ではなかったので、リラックスして楽しいひとときを過ごしました。浅間縄文ミュージアムのある御代田町は軽井沢の手前の町なので1年に2回は走っているのに、こんな立派なミュージアムがあるとは!

一目で縄文芸術が分かります


  6月4日、縄文時代のある研究の手伝いを始めました。竪穴住居を覆っていた土の中には縄文の人々の生活の跡が残っています。特に炉の中には炭化物があるのでそれを取り出して、調べると人々の食べていたものが分かります。また、焼けた住居跡からは大量の炭化物が出てきます。遺跡の土を洗うことによって、炭化物を取り出す作業をしています。地味な仕事ですが、5000年前の土を扱うシアワセ!を感じながら黙々と続けています。                    

                         
火焔土器

国宝火焔型土器
6月11日(火)新潟県糸魚川市のヒスイを求めて、12日(水)長岡市から十日町市までの火焔街道を行く。縄文ロマンの旅に参加しました。
 
 一日目の小滝川ヒスイ峡、フォッサマグナミュージアム、長者ヶ原遺跡、寺地遺跡は、昨秋見てまわったので慣れたものでした。でも、仲間と歩くとまた違った楽しみがあり、初めて見るというものもありました、去年は何を見てたのかな?
 
  二日目は縄文土器の華「火焔土器」を求めての旅で、感激の連続でした。何に感激したかというと、先ず、長岡市にある馬高考古館 • 新潟県立博物館の豪壮さにビックリし、ひっくり返りそうになりました。次なる感激は馬高縄文館の入り口に展示している火焔土器でした。オンリーワンの火焔土器です。何故かというと「火焔土器」と呼んでよい土器はこれ“ひとつ”。馬高遺跡で発見された最初の土器を「火焔土器」と呼び、2番目以降に発見された土器は「火焔型土器」「火焔式土器」と呼ばれているのです。火焔土器、火焔土器と言っていたのは間違っていました。火焔型土器だったのです。オンリーワンを見て、大感激しました。火焔型土器は頭でっかちで不格好と思っていましたが、フォルムの素晴らしさに見とれました。よく見ると、とても繊細な土器でした。縄文人が「火焔、火焔」と言うなと怒っているでしょう。名前が平凡!
 十日町市博物館でこれまたオンリーワンの国宝火焔型土器を見ました。国宝の土器はオンリーワンでなく、笹山遺跡出土品がまとまって国宝に指定されたので数個ありますが、縄文土器の中で国宝指定は、唯一笹山遺跡の火焔型土器しかありません。


ドングリつぶし

クリの殻むき

オオタニシのスープも作りました

黒燿石で鹿肉を切っているところ


 6月22日(土)23日(日)には縄文食講習会がありました。原村阿久遺跡の森で拾ったドングリやクリを使って焼いた縄文クッキー、鹿肉を黒燿石のナイフで切り分けて焼き肉、エゴマとハチミツのたれをかけたおはぎなど、縄文ランチを美味しくいただきました。





 6月は縄文阿久友の会の行事以外は、縄文土洗いの日々でした。一度、マタギの店から貰ってきた鹿皮の内側の薄皮を黒燿石を使って剥ぐ経験をしました。いろいろ実践しているので、縄文人に呼ばれたらいつでもホイホイ出かけられる準備はできたと自負していますが、呼んでくれそうにありません。

鹿皮の薄皮を剥いでいるところ
 
もう6月も終わりです。7月になるとウィーンに出かけるので、ホイリゲの日々が待っています。(ホイリゲはワイナリーが経営しているワインと料理の店)

 そうそう、富士山世界遺産決定がありました。世界遺産決まった直後、山梨県のアイリッシュパブ “ブル&ベア”へ馳せ参じ、乾杯をしてきました。帰り道に撮った写真です。

富士山ちょっと見えます



2013年6月4日火曜日

ラバーナムの思い出

 ラバーナムが3房咲きました。たったの3房ですが、今までは一度も咲かないかったので、毎日門の外に出て眺めています。ラバーナムの苗木は何処を探しても手に入らなかった時代(15年ほど前?)、バラクライングリッシュガーデンで見つけ、以前から欲しがっていた岡山の親友にも2株送りました。その後、数年経ってから「ラバーナム咲いた?」と訊ねると、「うん、門の側に植えたのは、咲いてるよ」とのことでした。蒸し暑い岡山で咲くとは。英国と気候の似ている高原で枯らしてしまった私は再挑戦、また植えました。今度は親友の真似をして門の側に。これがその3房咲いたラバーナムの写真です。


 英国王立園芸協会の月刊誌「GARDEN」を見て、ラバーナム(黄藤、キングサリ)に夢中になっていた私は、ラバーナムがトンネル仕立てになっているコッツウォルズにあるバーンズリーハウスに行くのがその頃の夢でした。その当時(1998年4月から)、毎日新聞の日曜くらぶに「らぶらぶハーブ」というコラムを書いていましたので、取材旅行をしなくてはと大義名分をかざして、友人3人と一緒に英国へと出かけました。

ドライコットのラバーナム
 ロンドンで一番お気に入りのエリア、スローンスクエアにある定宿ドライコットに泊まったのは、そこから歩いてチェルシーフラワーショウに行けるからでした。ドライコットの中庭にラバーナムが見事に咲いていました。バーンズリーハウスのラバーナムもきっとたわわに咲いているでしょうと、大いに期待がふくらみました。

 1998年5月19日チェルシフラワーショウを見て、21日ビクトリアステーション近くのハーツでフォードモンデオを借りて出発し、一路コッツウォルズへ。運転は交代だと言っていたのに、私が全行程運転手を努めることになってしまいました。オックスフォードでモーターウエイM40を下り、ブレナムパレス、ヒドコトマナーガーデン、バイブリーを廻ってようやくバーンズリーハウスに到着しました。

ローズマリー • ヴェリーと
今、「らぶらぶハーブ」久しぶりに読んでみると、ラバーナムについてかなり熱を込めて書いていました。以下、1998年7月26日(日曜日)の記事です。 

温かい人柄そのまま、魅力の庭園 

 今、英国で一番人気のある庭といえば「バーンズリー • ハウスガーデン」です。こことともに3大イングリッシュカントリーガーデンと並び称される「ヒドコートマナー」や「シシングハーストカースル」がナショナルトラストになっているのと違い、息子が引き継いだとはいえ、このガーデンを作り上げたローズマリーヴェリーが元気で活躍中なのです。
 今年5月「バーンズリーハウス」を訪ねました。ローズマリーさんがご在宅ならお目にかかれるかもしれないと期待しつつ、ガーデンの入り口をくぐったとたん、目の前にローズマリーさんがいらっしゃるではありませんか。声をかけると気さくに話をしてくださいました。 
 彼女に会えた幸せな気分にひたりながら、忘れな草の群がる中に濃いブルーのコロンバイン(西洋オダマキ)が咲いていたりしているのを見ながら庭の奥に進みました。
 幸せな気分がさらに花火のように開いたのはラバーナム(キングサリ)のトンネルにたどり着いた時でした。黄色のフジのようなラバーナムのトンネルの下の両側には紫色の丸い玉、アリウムが咲いていました。ローズマリーの一番好きな色の取り合わせが黄色と紫(マーヴ)です。その色調が舞い踊っていました。トンネルの突き当たりに石の台座に上に置かれた日時計(ローズマリーが夫の60才の誕生日にプレゼントした)はフォーカルポイントとなっていました。日時計の後ろには石のベンチがあったので、しばらく座ってラバーナムのトンネルとアリウムのコントラストをながめました。
 バーンズリーハウスガーデンはローズマリーヴェリーの温かい人柄がそのまま反映され、チャーミングで温かさに満ちあふれた庭でした。