2013年7月30日火曜日

ローザンヌ・ジュネーブへのセンチメンタルジャーニー

オペル・インシグニア、ドロミテにて
 201377日(日)、朝一でHertzに行き、オペル インシグニアを借りてくる。855分、晴天、気温23度。気持ちのよい朝に出発。シェーンブルン宮殿正門前を通過して、アウトバーンA1に乗る。
 初日はオーストリアを縦断して、リヒテンシュタインまで570㎞突っ走らなければならない。ウィーンがもう少し西に位置していたら、西ヨーロッパに気軽に行けるのにと、後部座席でぼやく。リンツ、ザルツブルグまでは工事中が多いこともあり、交通量も多い。1130分モントゼーのパーキングで昼食。モントゼーは映画「サウンドオブミュージック」の結婚式の場面の教会があるところだが、グーラッシュスープを食べながら湖を見て、そそくさと車に戻る。 

モントゼー湖(月の湖) 
 高速道路はザルツブルグの先でアルプスに阻まれるので、ドイツ領のアウトバーンを走らなければインスブルックへは行けない。自転車で走り回る人々、キャンピングトレーラーだらけのキーム湖。これまでと風景はあまり変わることはないけれど、車は多く、避暑避暑避暑の人々で賑わっている。それをみると、やはりドイツだ、豊かな国だと感じる。再びオーストリアに戻り、インスブルックを過ぎると、やっと車が少なくなる。しばらくするとエッツタール出口の標識が見えた。ここは5300年前のミイラが見つかった氷河のある地域で、発見されたミイラにはその地名にちなんで「エッツィ」という名前がつけられた。今回の旅でそのエッツィに会えると思うと、うれしくなった。
 突然、前走車がハザードランプを点けた。そしてノロノロと停止。高速道路なのに、周りの車はみんなドアを開けたり、人々が外に出たりしている。ラジオの情報では、この先のトンネルでオートバイの事故があり、復旧にはしばらくかかるという。ちょうど雨が降ってきたところをオートバイが数台走り去って行った直後のことだったので、さもありなんと思いながらも、先を急ぐ身の上、イライラ、イラ。すると消防自動車が一台走っていったかと思うと、車がぽろぽろと動き出す。だが、パトカーは来てないぞ。何だろう。動き出した車はみな、トンネルの手前でUターンし、対向車線に入っていく。消防隊員の誘導に我々も従って来た道を逆走し、最初の出口で一般道に降りる。場所はDalaas、「ダラスだ、覚えやすい」と関係のないことをワイワイいいながら、チロルの村々を走る。民族服を着て楽しそうにしている人々を発見。どうやら村祭りのようだ。チロルチロルと言ってたら、「チロルではない、オーストリアの西の果てフォーアールベルグ(Vorarlberg)州だ」ときつく訂正を受けた。

エッツタールへの出口

車外へ出る人たち
消防車が行く
















  スイスに入る。国境の建物はあったが、そのまま通過。45年前、リヒテンシュタインに入った時にはパスポートを提示したけれど、現在はヨーロッパ諸国を地上で往来するにはパスポート必要なし。ホテルのチェックインの時だけくらい。

オーストリア・スイス国境

  リヒテンシュタインという国は国防も高速道路もスイスに頼っているから、スイスの高速道路を使ってファドーツへ。そこから5kmほど走り、今夜の宿トリーゼンのホテル マイヤーホフに到着。宿のレストランはお休みなので、ファドーツの街中へ。ヤレヤレ着いたと思っていたので、また出かけなくてはならず、ちょっとガッカリ。

八ヶ岳の風景に似ているリヒテンシュタイン

ホテル・マイヤーホフ
リヒテンシュタイン街中 
ホテルで薦められたファドーツ中心街のレストラン入り、メイン通りに面したテラスに座る。歩いている人、食事をしている人々は観光客のみ。中国人がやたらと多いし、ガラの悪いマフィアまがいの人もいる。「きっとマネーロンダリングしてる連中だ。昔は切手発行と観光が中心の上品な国だったのに。」勝手な感想を述べながら、人慣れしたスズメと一緒に美味しい地元のチーズをたっぷり使ったニョッキをつつく。

 78日(月)、夕べは宿のレストランが開いていたらどんなにかよかったかしらと思いながら、上品にカットされたチーズ、ハム、スモークサーモン、ヨーグルト、もちろん美味しいパンをいただく。お客さんは英国人が多かった。
 今日はスイス縦断のドライブ。スイスに入ってすぐ、20kmくらいのところにハイジの村マイエンフェルトがあるので、立ち寄ってみることに。


ハイジの泉
















                  











「ハイジ」の作者ヨハンナ・スピリは、夏になるとマイエンフェルトに来ていた。その時に体験したことや村人から聞いたことを基にして執筆した、全部実際にあった話なのだと、インフォメーション兼お土産屋兼飲み屋のおばさんが話してくれた。ここはスイス訛りのドイツ語を話す地域だ。ハイジの話もドイツ語で書かれた。本当にハイジがいたわけではないけれど、その舞台だからと村を歩く。山小屋までは歩いて2時間はかかるそうだから、先を急ぐ我々は行かない。先を急がなくても私は行かない。

 この後はチューリッヒ、ベルンの街中をドライブ見物して、高速道路のグリュエール湖パーキングで休憩。グリュエールチーズを売っていたが、この先長旅故、買えない。スイスを高速道路で走るとは、1967年には想像もしていなかった。当時、日本だって名神も東名も、全線開通はまだ先のことだった。


 高速道路はレマン湖に突き当たるブベーで、モントルーとローザンヌ方面に分かれる。ブベーで湖畔の道に下り、モントルーを通ってシオン(Chillon)城を見て、ローザンヌのホテルへ行くことにした。45年前この湖岸の道をよくドライブしたものだ。円が1ドル360円の時代だから、ただただドライブするだけだったが、静かな湖、花の咲き乱れる家並み、湖岸から山に向かって一面の葡萄畑と、美しい風景だった。娘にレマン湖を見せたくて来たのだけれど、モントルーの街、ホテル通りを走って絶句。熱海のよう?人がいっぱいいるし、店屋の看板であふれている。シオン城は昔通りの佇まいだけれど、ここも観光客であふれていた。そして、城から見上げると高速道路の橋桁が山肌を切り裂いていた。

シオン城
 旅の目的の一つ、モントルー、ローザンヌ、ジュネーブのセンチメンタルジャーニーは、ジャジャンとおしまい。ローザンヌは地下鉄ができてしまっていて、降りて来る人の多さ、ジュネーブの街の混雑、観光客の汚さにガックリ。それでも、ローザンヌ・ウシー地区のホテル デュ ポートのレストランはよかった。懐かしい「スイスのビフテキ」粒胡椒がたっぷりのグリーンペッパーソースステーキは美味しかったし、ラボー地区のピノノワールも最高だった。

ラボー地区の葡萄畑
ローザンヌ レマン湖畔