2017年3月8日水曜日

八ヶ岳縄文ワールド (その3)


昭和23年に初めて土器を掘り起こし、味をしめた武藤は、まだ他にもあるかもしれないと、翌24年に烏帽子の同じ場所の近くに出かけた。そこには畑開墾時に掘り起こされた土器片がガラガラと積み上げられていたので、すっかり嬉しくなり、地主を探し出して土器片が欲しいと頼んだ。すると、「畑の邪魔になるだけだから、いらねえ。持って行け、持って行け」と言われた。それを家の薪小屋に運び、23年積んでいたが、何とか土器の形に復元したいと思うようになり、信濃境駅前の薬局で相談した。そうして、セルロイドを2種類の酸で溶かして接着してみた。穴の開いているところは石膏で埋めた。復元したものの、見てくれの悪いのはもう一度やり直したりなど、自分で復元技術を開発した。武藤は土器の復元と土器の年代識別を独力で苦労しながら行ったが、「全ては土器から教わった」という。

原村の遺跡から出土した土器を手に説明する武藤雄六

昭和33年、町村合併で、今までの諏訪郡境村役場が場所を持て余すようになった。そこで1階前面を富士見町境支所に、その後ろ側を井戸尻考古館として整備し、2階で調査復元などが行われるようになった。そして昭和371月、藤森栄一が中心となって長野県考古学会第一回大会開催したところ、大盛況だった。昭和406月には考古館の運営が地元の保存会から教育委員会に移管され、昭和49年に現在の井戸尻考古館が井戸尻遺跡の上に開館した。


井戸尻考古館の復元家屋

この間にひとつエピソードがある。いわゆる「サントリー事件」だ。井戸尻考古館は一時期、それまで出土した土器を展示品として東京のサントリー美術館に貸し出していた。そのサントリーの重役の別荘が富士見町にあったので、重役は時々現地へ来ていたが、そのうち考古館一帯を買収して、そこから出るものを全部東京へ持って行こうと企んだ。すると、武藤の親戚がサントリー側についたりして大騒動になったが、村の衆が頑張り、サントリーに乗っ取られずに済んだ。危うく〝サントリー富士見醸造所″と〝縄文ミュージアム″ができるところだった。その後しばらくすると、富士見町の隣、山梨県北杜市白州町にサントリー白州醸造所ができた。水の良い土地、縄文の大地に狙いを定め、醸造所とバードサンクチュアリを作ったサントリーの目の付け所には感心する。


井戸尻考古館からの眺め

 藤森栄一の出身校で開かれた講演会「諏訪考古学の原点―武藤雄六と諏訪清陵地歴部の土着考古学」に出向いたのは、この地への理解を深めるのに役に立った。土着考古学の「土着」と言う言葉に最初は違和感を感じたが、そもそも考古学は地面にへばりつく学問であるから土着で正しいのだ。そして土着考古学は、その地をよく知り、愛おしむ人の手に掘られることによって生き生きとしてくる。


諏訪清陵高等学校の講演会で三上徹也と歓談する武藤雄六

その昔、八ヶ岳から霧ヶ峰にかけて火山製ガラス黒曜石が産出され、麓の八ヶ岳山麓でそれを使った矢じり(石鏃)が製作された。青森三内丸山遺跡でも発見されているように、その品質は高く、八ヶ岳ブランドとして日本列島中に広まった。現代、八ヶ岳山麓の精密機器産業は高く評価されているが、ここはまた縄文時代の先端技術の地でもあったのだ。まさに森浩一(19282013)のいう「考古学は地域に勇気を与える」は正解だ。彼は著書『地域学のすすめ』の中でこの言葉を書いている。


星ケ塔の黒曜石採掘遺跡
冷山の黒曜石原石
     
沢底の赤い石に魅せられた少年は、黒い石の存在にも興味を深め、とうとう考古学に足を踏み入れた。そして生涯を考古学研究にかけた。その土着考古学は地元に誇りと勇気と愛を与えるのは確かだ。


高原の縄文王国収穫祭
 くく舞を見たあと、みんな集合

                                    (文中敬称略)

八ヶ岳縄文ワールド (その2)

2017年1月21日、「諏訪考古学の原点 -武藤雄六と諏訪清陵地歴部の土着考古学」というテーマで、講演会が開催された。諏訪清陵高等学校地歴部考古班同期で、現在活躍中の諏訪の考古学者たち(五味一郎、高見俊樹、三上徹也)が、藤森栄一の直弟子武藤雄六を囲んで「土着考古学」の意義と未来を語りあうものであった。


八ヶ岳山麓を行く汽車ポッポの煙を眺めた幼い頃から、富士見の別荘を度々訪れ、八ヶ岳に魅かれ住み着いて17年ほどになる私は、この講演会に早速でかけた。武藤雄六は、私の所属する「縄文阿久友の会」の名誉会員で、2013年の同会創立総会で「原村は高天原」という講演を行なった。それが武藤雄六を知った最初であったが、彼は、私が想像していたコワイ人ではなく、すぐに人を惹きつける自然体の人であった。その人柄に惹かれた私は、諏訪清陵高等学校での話を中心にまとめ、武藤雄六のいままでの足跡を記したいとおもった。

武藤雄六にまつわる地名の境、池袋(いけのふくろ)、烏帽子、葛窪、新道(あらみち)、高森などは、長野県諏訪郡富士見町内の各部落名であり、富士見町境を中心におよそ35kmの範囲に収まる。富士見町内での話なので、まさに「土着考古学」である。

富士見からの八ヶ岳

  武藤雄六は、昭和
5年に長野県諏訪郡富士見町境池袋で生まれ、現在も住んでいる。幼い頃はいじめられっ子だったので、登下校時はいじめっ子たちから逃れるため、ひとりで沢の底をのぞき込んだりしていた。沢底の石を見ているうちに、赤い石に魅せられ、それを拾い続けた。赤い石は六角石(角閃石)という珍しい石であったので、噂を聞きつけた業者が買い付けに来たりした。石の勉強をするため本を買いに諏訪の博信堂へ行き、そこで店主の藤森栄一と知り合った。そのうちに藤森の家に招き入れられ、石器や土器を見せてもらったりしたが、藤森としては「無口な変な小僧」という印象だったらしい。


六角石

昭和23年に富士見町にあった諏訪農学校(現在の富士見高校)を卒業したのち、すぐに結核を患った。それで仕方なく医者の言いつけどおり、ブラブラしながら静養する日々が続いた。百姓仕事はしないで、赤い六角石や自宅近くの池袋の畑に落ちていた黒曜石の矢じりを拾って歩いていた。その頃、富士見町葛窪の親戚の家にあった『諏訪史第一巻』(鳥居龍蔵著)を読んで遺跡に興味がわき、池袋だけでなく、石器の拾える烏帽子へも出かけた。そこで矢じりを拾っていたら、何かに躓いて転んでしまった。躓いたのに腹を立て、掘り起こしたのが最初に掘った土器であった。

   昭和29年、武藤はJR中央本線信濃境駅前の農協に勤め始める。その頃、藤森栄一が富士見町新道で住居址を一軒掘り、その住居で使われていた土器一式を発掘した。それ以来、藤森栄一は富士見町高森の人々と懇意になり、境史学会(旧諏訪郡境村の史学会)を作った。境史学会には武藤の小学校の担任の先生もいたし、藤森栄一とは石つながりの顔見知りでもあったので、武藤もそこに入れてもらった。昭和31年に藤森はこの境史学会で講演をしたが、その時に「信濃境界隈にはすごい縄文の遺跡があるはずだから、ぜひ発掘しろ」と、武藤をはじめ、地元の人々をさかんにあおった。

昭和32年、「どんどん掘れ」という藤森の言葉に従い、武藤らが掘る場所を探していると、現在は井戸尻遺跡の復元家屋の建っている場所を運よく昭和333月から掘らせてもらえることになった。ところが、藤森栄一は戦争で出兵中にかかったマラリアを発症して寝込んでしまった。すると、「自分の代わりに尖石の宮坂英弌から発掘の指導を受けるように」と藤森から指示があった。お酒の好きな宮坂英弌のもとに一升ビンを2本持参して頼み込み、やがて発掘が始まった。

宮坂英弌は、この発掘について記録を取り、調査書を作るようにと武藤に指示したが、武藤はそれまでそういう経験がなく、途方に暮れた。そこでまず、高森公民館で遺物の整理をし、区長に頼んで現場の写真を撮影してもらった。測量もしなくてはならず、これは地元の技師に頼んだ。発掘作業そのものは、「苦労(しんどいこと)はしたくない」と若者にそっぽを向かれたので、池袋の年寄ばかりで行った。しかし、年寄には重労働だったので、宮坂英弌が若い諏訪清陵高校の生徒に手伝いを頼んでくれた。それがきっかけで諏訪清陵高校地歴部と武藤との関わりができたのだった。




八ヶ岳縄文ワールド (その1)


 『信州の縄文時代が実はすごかったという本』が20172月に出版された。著者は藤森英二だ。〝一時的に在庫切れ、入荷時期未定″のAmazonは諦め、地元(富士見町)の本屋に電話して有無を確認すると、「ある」というので、すぐ買った。やはり信州はこの本の発行元「信濃毎日新聞」の地元だから、「すごい、揃えている」と思った!地元といえば、藤森英二の祖父藤森栄一(19111973)は、信州ではみんな知っている有名な考古学者である。


 この本は写真やイラストが多く、若い考古学者のセンスで書かれている。これなら日本はもちろん、世界中の人が読んでも、日本の縄文時代を理解できる。また、縄文遺跡が山麓をぐるりと囲む、縄文の宝庫八ヶ岳の観光ガイドブックとしても役に立つ。



 八ヶ岳縄文ワールドで最も有名な遺跡は尖石遺跡であり、そこに建つ茅野市尖石縄文考古館は国宝土偶2体を所蔵している。縄文時代に、土で作られたヒトガタ「土偶」の日本全国出土数は18000体ほどである。そのうち5体のみが国宝に指定されており、その2体が八ヶ岳山麓にあるということは、この地の縄文時代の煌めきのスゴさを表しているとおもう。

国宝 縄文のビーナス

国宝 仮面の女神




















 

 八ヶ岳は、約200万年前~1万年前までの間に盛衰を繰り返した古い火山群であった。山裾が雄大に広がり、日当たりがよいために人が住むのに適していたが、それだけではない。火山は天然のガラス黒曜石を産出した。だから、旧石器時代からこの優れた石材を求めて人々が集まり、住み着くようになった。山梨県から長野県にかけての八ヶ岳山麓に、縄文遺跡が連なるように存在するのがその証拠だ。

諏訪湖からの八ヶ岳
 長野県茅野市尖石縄文考古館は、縄文時代の遺跡発掘調査で日本をリードした機関として位置づけられている。日本考古学の草分けである鳥居龍蔵(18701953)は、モースの発見した海岸地帯の貝塚だけでなく「山を見よ」と中部高地での考古学調査の重要性を早くから指摘し、『諏訪史第一巻』を著した。その後、鳥居の影響と諏訪地方の学識者たちによって、石鏃(ヤジリ)をはじめとする石器の研究が進んでいった。そうした中、考古学好きの皇族伏見宮博英(19121943)が茅野市豊平の尖石遺跡の発掘調査を行った。それを手伝ったのが宮坂英弌(18871975)だった。このことがきっかけとなって、宮坂は尖石遺跡の発掘にのめり込んでいき、諏訪考古学の先達となったわけだが、一介の教師で、貧しく厳しい生活環境の中、家族を犠牲にしながらも地道な調査を続けた。そして、出土した数々の土器を収蔵·展示する場所として尖石館を作り、それが後の茅野市尖石縄文考古館となった。尖石遺跡は宮坂英弌の調査の成果として、日本で最初に確認された縄文時代の住居址遺跡である。

 若い伏見宮のお相手として、発掘調査には諏訪中学の学生も駆り出された。その学生の中に藤森栄一(19111973)がいた。彼はその後、家業の本屋を継ぐために東京への進学を諦めたが、終生考古学と共に生き続けた。諏訪湖底に沈んだ曽根遺跡を調べ、八ヶ岳西南麓富士見町にある井戸尻遺跡とその周辺遺跡の発掘調査を行った。そうした調査を母校の諏訪中学(現在の諏訪清陵高等学校)地歴部の生徒たちと共に行い、その中から彼の後継者となる大勢の考古学者を輩出した。また、藤森栄一は優れた執筆家で、多くの本を著しているが、その著書は常に生身の人間への愛情に貫かれている。彼の周辺の人々、そして遥か古に生きた人々への優しさがにじみ出ている。

藤森栄一の指導のもと、地元の遺跡発掘調査に励み、独学で考古学の領域を極めた人に武藤雄六がいる。彼は生まれ育った長野県諏訪郡富士見町境にある井戸尻遺跡の発掘調査とその保存を地域の人々と共にすすめ、井戸尻考古館の初代館長となった。
                          

2017年2月10日金曜日

8500年前のシルク!



 絹というと、シルクロードがすぐ頭に浮かぶ。養蚕は中国が発祥の地であり、そこからユーラシア大陸を西へ東へと漏れ伝わったのがシルク伝播の始まりである。漏れ伝わったというのは、絹は当時の最高機密で厳重に守られていたからだ。ところが、昔からリークする輩がいるもので、東へは、紀元前200年頃、難民や移民として朝鮮半島に住み着いた中国人を通じて養蚕技術が海を渡り、弥生時代の日本列島に伝わったらしい。西への伝播は、東よりも数世紀後のこととなった。紀元100年頃、ホータン国へ嫁いだ中国の王女は国禁を破り、自分の結い上げた髪の中に桑の種と蚕の卵を隠し持ち出したことによって、西アジアそしてインドへと養蚕が拡がった。さらに、紀元600年頃にはユスティニアヌス帝統治下の東ローマ帝国にも伝わった。絹の土地という意味のセレス(北インド、中国ともいわれる)から来たネストリウス派(古代キリスト教の一派で唐時代には中国に伝わり、景教となった)の僧が馬の糞の中に蚕を隠し、温めながら、これまた密輸により皇帝に捧げられたのだった。
  なお西方では、古代エジプト遺跡から中国絹の段片が発見されているし、古代ローマでも絹は贅沢品としてローマ上流階級でもてはやされた。そしてローマ帝国は絹を求めてエジプトへ、さらにはインドへ海路進出したことがある。



 養蚕は、中国河南省の仰韶文化(7000年~5000年前)に流れをもつ龍山文化(5000年〜3000年前)で野蚕から家蚕へと飼いならされたのが始まりであることが、考古学上実証されている。ところが、絹織物が作られ始めたのはそれよりも古く、8500年前の斐李崗文化からだという新たな説が2016年に発表された。

   現在の中国河南省は古代中国文明の発祥地で、斐李崗文化、仰韶文化、龍山文化などの新石器時代遺跡が多数ある。また、安陽(殷墟)、鄭州、洛陽、開封などの古都を有する中国文明の基となる「中原に鹿を逐う」地だ。


 河南省賈湖遺跡は9000年前の新石器時代の遺跡で、賈湖契刻文字や鶴の骨で作られたフルート(横笛)で有名だが、そのほかにも2004年にペンシルベニア大学考古学人類学博物館の分子考古学者パトリック・マックガバン教授が、土器の破片からアルコール成分の残滓を発見している。化学分析の結果、はちみつ、サンザシ、ブドウ、コメなどの成分が含まれていることが分かり、清酒とワインをごちゃまぜにしたようなものであるとおもわれた。マックガバンはこの成分分析に基づいて、アメリカ・デラウエア州のビール醸造所で酒の復元を試みたところ、透き通ったシャンパンのようなものができあがったという。賈湖遺跡で大量に出土した土器は、酒造りに使われたものだとマックガバンは言う。

 このように高度な文化をもつ事ことが次々とわかってきた賈湖遺跡で、ついに世界最古の絹の成分が発見された。2017年1月11日のancient-origins.netの Mark Millerの記事によると、賈湖遺跡で8500年前の絹成分が発見されたという。賈湖遺跡の3基の墓から布を織る道具と骨角器製縫い針が見つかり、さらに墓の土から絹のタンパク質を採取することにも成功した。道具と絹の分子が見つかったことにより、賈湖人は絹織物の技術を持っていたことになる。この絹の発見は、古代中国文明史上のエポックとなり、これからの古代研究に拍車をかけるものとなるようだ。


 ちなみに、河南は絹織物発祥の地であるという伝説も伝わっている。蚕のエサとして重要な桑の原産地は、中国北部から朝鮮半島といわれるが、湿潤で温暖な黄河流域河南も桑が育つ最適な地域であった。蚕にとって大切な桑の葉は、カルシウム、鉄分、カリウム、亜鉛、ビタミンB₁、B₂、C,ポリフェノールなどを含む。人間にとっても大切な植物で、葉や根皮は古くから生薬として重宝されてきた。漢方では「桑椹」といい、利尿、血圧降下、解など薬効がある。タイのチェンマイで桑(マルベリー)の樹皮で紙漉きをし、和紙と見まがうような出来栄えの紙を見たことがあるが、中国元時代には紙幣の素材として桑の樹皮が使われていた。


  桑の話が長くなったが、中国神話伝説の三皇五帝時代の皇帝である黄帝の妃、西陵氏は桑の木に白い蛹を見つけ、手でもてあそんでいると糸のようなものが引っ掛かった。それを指に巻いていくと中から虫が出てきたので桑の葉を食べる虫だと興味がわいた。ある日、桑茶を飲んでいる時、手にしていたサナギをお茶の中に落としてしまった。すると白いサナギがほどけて、白く透き通った糸が簡単に取り出せた。それが絹織物を作るきっかけとなり、妃は糸巻き、織機を考案して絹織物の製法を築いたと伝わっている。
  伝説はともかく、少なくとも中国・前漢時代には、蚕室での温育法、卵の保管方法などが確立し、野蚕から家蚕へと養蚕技術が進み、絹織物が高価な貴重品としてシルクロード交易の重要な役目を果たすようになっていったのだった。

写真はancient-origins.netから。斐の文字は正しくない文字。

2016年11月30日水曜日

2016年のドライフラワーリース



   クリスマス🎄一ヵ月前に20cmもの雪に見舞われたが、3日で消えた。やはり本格的な冬が来るのはもうちょっと先だと、ひと安心した。さあ、クリスマスのお飾りを用意しなくてはと、今年のドライフラワーが出来上がったばかりのピース農園を訪ねた。今年の出来は雨☔️ の割には良かったそうだが、アンモビュームとヘリクリサムはダメだった。なんと言うこと❗️アンモビュームは美しいハッキリした白で、アレンジにやさしさを加えることができる。ヘリクリサムはポピュラーな花だけど、色がたくさんあり、アレンジに加えやすい花だ。

   フラワーデザインの講師を辞めて10年近くなるから、ピース農園のドライフラワーを使って作るのは、自分のための大きなリースと今年お世話になった方々へのギフト用リースやブーケだ。

   2016リースは、去年作ったローズマリーリースを土台にしたもので、大きさは外径60cm。下の他の写真はギフト用のリースとブーケ。

    ローズマリーのリース

    クリスマス用にツリー型キャンドルを装着😊







2016年11月23日水曜日

Pax Americanaの行くえは?



  アメリカ大統領選挙ではトランプの勝利で終わった。一日本人としてはどっちを応援しても詮無いこととはいえ、大統領になったクリントン女史の顏をニュースで頻繁に見なければならないとなると、シンドイことだと思っていた。だからあのオモロイオッチャンが次期大統領になるのは悪くないというのが、このオバサン否、バアサンの感想である。

 それにしても日本政府、マスゴミ、知識人で私の感想をまともにバックアップしてくれるコメントは見つからなかった。では無い知恵と頭を絞って、まとめてみようかと思っていた矢先、知人のニュースレターに実に的確なコメントが記されてあった。早速、許しを得て下記に記載させていただく。

Donald Trump次期大統領のアメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)は至極当然のことだ。


  1950年代までのアメリカは、感覚的に明るい太陽のもと、大型のアメ車に乗り世界一の富んだ経済を謳歌していた。州立大学の授業料は、今のように高くなく学位を取って、良い仕事を得て、幸福な家庭生活を送り、老後はサンシティーのような街ごと養老院のような場所で終末期を過ごすというパターンだった。
 

   そのアメリカの歯車が狂いだしたのが、ケネディ大統領の暗殺、次のジョンソン大統領時代の公民権運動による国民の分断、そしてジョンソン大統領とマクナマラ国防長官によるトンキン湾事件から深みにはまるベトナム戦争の遂行となった。反戦運動の最中、オハイオ州立大ケント校での州兵による学生射殺事件。サイゴンの米大使館からヘリコプターでの脱出・敗戦と続いた。
  
  次の大きなまさかは、アメリカB(アメリカの闇)によるとみられる911事件、それを待っていたように米国のアフガニスタン攻撃は、大国による大義の無い戦いだった。アフガニスタンでは、911事件の2日前にタリバンなど国内のゴタゴタを押さえるのに成功しつつあり英雄として慕われていたアフガニスタン北部司令官のマスード氏の暗殺が起きた。


  独裁政治が未来永劫続くのは、良いとは言えないが国の発展段階によっては必要なモノであると思う。米国はその国の事情を勘案しないで、イラク進攻でフセイン大統領を、リビヤでカダフィー氏を殺害した。今また アサド大統領が気に入らないとシリアを混乱に陥れ 結局は米国の力を弱め グローバリズムは評価半ばにして見直しを強いられている。
 
  トランプ氏は、グローバリズムを否定してアメリカが強い国になろうとしているのではない。 先ず、落ちた国力を元に戻し、努力すれば成功するという基本理念に立ち返って、諸政策を実行
していこうとしている。米国内で湧き上がっている99%格差問題は、大して努力していない輩が強欲に富を独占し、一般大衆に機会が十分与えられていないことにある。日米ともに、格差問題の解決は富裕層に脱法行為を許さず、税をかけ、若い層に機会を与えることにある。
 
  トランプ氏も開かれた市場に反対するわけはなく、ただ現在の状態で安倍内閣の意図にあるTPP中国包囲論には乗ってこない。日本もひたすら日本・ファーストで政策を進めるべきで、防衛安保、食糧安保には最優先でリソース配分を行わなければならない。海外へのバラマキは最優先事項ではありえない。慈善事業は、家庭の満足からというではないか。記2016・11・14

 
 トランプ次期大統領に会えてウハウハしている脳天気な危ないニッポンの首相は、もっと世界の情勢に目を向けなければならない。ヨーロッパからの便りによると、ヨーロッパ各国はトランプ次期大統領の出方を見守っているのだ。
  ともあれ、何かにつけてやり玉に挙げられるポリテカル・コレクトネスに関してはさておき、見栄を張らない(本音を言う)大統領というのには期待できる。トランプ次期大統領は娘や息子をきちんと育てているのだから。あのジョージ・ブッシュのアホな息子よりもマシな大統領になること請け合いだ。

2016年6月25日土曜日

大英帝国のEU離脱

                            BBC Newsの写真より

   2016年6月23日、日本時間では24日朝から、英国のEU離脱でテレビ番組は大騒ぎしている。このトバッチリが日本にふりかかってきたらどうするとテレビは日本国民を脅迫し始めた。英語が通じて簡単だからとポンドの国に進出して、ユーロのEU相手に儲けようとしたのがそもそもの日本の企みだっただろうに。



  大英帝国の見栄だとか、EUが規制のし過ぎだとか、いろいろと考えを廻らせていた。その折、EU内に住んでいる娘から届いたメールを読んで腑に落ちた。

2016年6月24日付け メール
Brexitは、EUにはざまあみろだね。無意味な規制が多すぎるのと、無駄遣いが多すぎる。EU関係者の特権が多すぎるんだよ(国連もそうだけど)。イギリスの漁師さんは、EUのくだらない規制のおかげで、自由に漁ができなくなった。農業でもそうだ。EUの規定では、曲がったキュウリは売っちゃいけない。ばかだよねー。カフェやレストランでの喫煙・禁煙のルールも振り回されているし、大学の制度もムリムリ統一化するからレベルの低下を招いているし、無理な規定が多すぎた。そもそも無理だよ。ヨーロッパといっても、各国、個性が強すぎるもん。EC/EUが誕生して以来、どの国も経済効果や規制緩和でEU加盟の恩恵を被り、ある程度豊かになれたんだから、これからは各国が自立して、別の形で協力していくべきなんじゃないだろうか。今は何もかもEUが仕切ってるもん。EUは何様だ。EU以外の国への差別が大きすぎるし。

EU加盟国というステータスは、高収入の職業に関してはメリットが多いけど、第一次産業は大打撃を受けたのにほったらかしにされてたから、小さな国民の不満が高まったんだ。しかも、国民を啓蒙しないから、わけがわからないまま、不満が募ったんだよ。きちんとEUのメリットを説明して、規制に即した生産方法の方向づけをしたりしてたらよかっただろうけど。

何が恐ろしいって、ゴクウ(極右だが嫌味を込めてゴクウとよんでいる)が教養のない国民を煽動する動きが高まっているのが恐ろしい。オランダやフランスなんか、本当はもっと暴れたいんだろう。どこもますます二極化が進んでいる。日本もアホな国民が多いけど、賢そうにしている欧州も過半数はアホなんだ。知識不足なんてのは、今のような情報社会なら調べて集めて補えるんだから、物事を多面的に考える訓練としての教育を浸透させていかないとねー。

とにかく、暴走してるEUが変化するいい機会だよ。上層が好き勝手をして、一人歩きし過ぎた。イギリスはそういう意味で、勇気を持って民主的な形で国民に意見を問い、EUに疑問を投げかけてくれた気もするんだけどね。

そもそもさ、英国の通貨はユーロじゃなくてポンドなんだから、100%EU加盟国じゃなかったよねー。