2013年8月16日金曜日

ポッツォレンゴで

ナディアとジルベルト

デラコルテの部屋のドア飾り

 B&B della Corte の経営者、「マイハズバンド」の名前はナディア。自分のワイフを「マイハズバンド」と言ったオッサンはジルベルト。宿の隣りのマンションに住んでいる。我々が到着した時は、恐らく昼寝の最中だったのではないかと思う。かなり暑い昼下がりだったし、思い出せば二人とも寝起きの慌て方(ボケ具合?)だった。彼らとの出会いの場面は“大騒ぎ”の一言でしか言い表せないが、きっといつまでも忘れられない思い出になると思う。

コルテ・デイ・レオーネの中庭


 B&Bデラ コルテは、マラヴァジワイナリーのエドアルドが予約してくれたので安心してしまい、ホームページをちょっと確認しただけで、どんなところか事前にしっかりチェックしていなかった。とにかく、ポッツォレンゴでの目的はマラヴァジワイナリーを訪問することだったから。 www.bebdellacorte.com 
 
さあ、朝ごはん
ナディアのケーキ  
朝食のサラメ(サラミ)

 デラ コルテのサイトで最初に女主人の写真をチラッと見た時、何やら太めで賑やかな農家のオバサンと思い込んでしまったのがいけなかった。実際のナディアは言葉少なめで、いつもニコニコしている可愛い上品な人で、スタイル抜群(ナイスバディ!)。彼女はいつもハイヒールの突っかけを履いていたが、「時々つまづいてクネッとしていたよ」と娘が喜んでいた。そのハイヒールの突っかけを履いて、毎朝おいしい朝食を作ってくれた。コンチネンタルブレックファーストというものの、パンは数種類、地元の生ハムやサラミ、チーズ、果物、お手製のケーキが3〜4種類も並んでいた。コーヒーも美味しかったし、カプチーノは絶品。カプチーノを注文すると、ミルクを泡立てる音がする。その音は「今作っていますよ」というような心地よい音。懸命に作っているのを、のぞきに行くなどという下品なことはせず、毎朝その音を聴きながらパンに上等なハチミツを塗り、静かに出来上がるのを待っていた。

ナディア

 滞在3日目の土曜日の朝、今からヴェネツィアに行くと話したら、ナディアが「車で行くのはよして、電車で行った方がいいわよ」とアドバイスしてくれた。(ナディアは英語はできないが、娘曰く、ジルベルトと英語で話すよりも、ナディアと怪しげなイタリア語で話したほうがよっぽど通じるという。勘のいいナディアのほうが、やはり“ハズバンド(主人)”なのだろうか)ナディアは「夏で土曜日だから大渋滞間違いなし、ヴェネツィアの広い駐車場を歩いてヴァポレット(水上バス)に乗りに行くのも大変だ。私たちもヴェネツィアへはいつも電車で行く」とのこと。ローマ広場にある駐車場の広さと入るまでの混雑を思い、そして列車でヴェネツィアに入るワクワク感を思い出し、我々はすぐナディアの言う通りにすることに決めた。


デセンツァーノ駅



 ミラノ―ヴェネツィア間の特急が停車するデセンツァーノ駅までは車で10分だし、土曜日だから駅に楽に駐車できるという。「じゃ、9時の特急に間に合いそうだから」と急いで支度をして出かけようとすると、ジルベルトがプリントアウトした紙をヒラヒラさせて母屋からやってきた。「9時の電車はもう満員だ。次は10時だ」と言う。ナディアから話を聞いて、すぐにインターネットで電車の混み具合をチェックしてくれたのだ。おっちょこちょいな人だと思っていたが、実は何でも真面目にする人らしい。まだ時間があるので一旦部屋に戻ったものの、ここで待つよりも早めに駅まで行ってみようということになり、すぐ出かけた。デセンツァーノは閑静な住宅街で、ミラノに通勤する人たちが住んでいるようだ。駅までは10分どころか20分はかかったが、迷う事なく駅駐車場に車を停めた。切符を買いに行ったら、10時の電車は売り切れという。じゃ、一等車はどう?バラバラなら3席ある、と言うのでそれに決定。それから30分以上待つことになったが、ホームは人でいっぱい。そうだ、帰りの切符も買っておこう。再び切符を買う列に並んで、帰りの切符も無事手に入れた。列と書いたものの、あっという間に順番が回ってきた。「オーストリアじゃ、こうはいかない」と、イタリア贔屓の娘は変なところに感心していた。

ガルダ湖が光っていた
3階の窓からのコルテ・デイ・レオーニ

 この日のヴェネツィア行きは、ナディアとジルベルトのおかげで楽に往復できて、よい思い出となった。ジルベルトは4日目、出立の朝に母屋のマンションを指して「Corte del Leone、英語で言うとライオンズコートだよ」と説明しながら、そちらの方へ案内してくれた。母屋の庭はナディアが2日目の朝に案内してくれたので、大きなプールがあったり、キョウチクトウの花が見事だったりするのを知っていたが、自分たちの住居まで見せてくれるとは。彼らの部屋は建物の最上階3階にあり、窓からは遠くにガルダ湖が見えた。家具が素晴らしく、「これとこれは18世紀のもの、これはプロヴァンスで見つけたもの」「壁のフレスコ画は修復して額のようにした。泊まった部屋にも似たようなのがあったでしょう」とジルベルト。階段は昔のままの石段だった。デラ コルテのサイトには、古いファームハウスを改装したとあったので、ただの大きな農家だと思っていたが、恐らく普通の農家ではなく、地主か領主の家だったのだろう。

ナディアの花

 ジルベルトとナディアはマントヴァの出身だという。別れの朝、これから南チロルのボルツァーノへ行くと言ったら、ボルツァーノは近いから、その前に是非マントヴァを見るようにと薦められた。ルネサンス君主の一人であるゴンザーガの町であり、オペラ「リゴレット」の舞台となった町、しかもジルベルトたちの町、マントヴァに魅力を感じたので、南に60kmほど寄り道をしてから北に向かうことにした。北イタリアについてはフィレンツェ、ミラノ、ヴェローナ、フェラーラ、マントヴァなど、ルネサンスの花が開いた都市という程度の知識しかなかった私は、北イタリアの人々の上品さ、教養の高さに自分の無知を恥じた。ルネサンスはもとより、イタリア統一の地となったこの一帯のことを調べなくてはと反省した。
 ちなみに、ジルベルトは最後までナディアのことを「マイハズバンド」と言っていた。

マントヴァ 
マントヴァ


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