2012年7月4日水曜日

花綵列島の古代食つくり



縄文時代(1万3000年前頃〜2300年前頃)の人たちは何を食べていたのでしょうか?
米は弥生時代に日本列島に伝わり、水田が作られるようになって農耕が始まったため、人々は文化的な生活ができるようになったと教わりました。そして縄文時代といえば、鹿の皮をまとった髭もじゃの男性やズタ袋のようなものを着た女性が、野山を駆け巡って狩猟採集生活をしていたというイメージを植えつけられてきました。

しかしながら、一万年以上続いた縄文時代に、誇り高き日本人の先祖がそんな悲惨な生活をしていたとは到底考えられません。現代人は古代人に比べて知識は豊富ですが、古代人も現代人と同じく、知恵を働かして賢く暮らしていたとおもいます。

海に囲まれ、山は深く、自然の恵み豊かな美しい花綵列島(*)に暮らしていた私たちの先祖は、いかに快適な生活を送ろうかと日夜努力していたに違いありません。美味しい鹿肉、猪肉、雉、鳩などのジビエを食べるなど、かなりグルメな生活をしていたと想像できます。

(* 花綵列島 [かさいれっとう]:花綵(はなづな)とは、植物の花 • 実 • 葉などを綱上に編んだ花飾りで、英語ではガーランドといいます。ガーランドはフラワーデザインの代表的な手法の一つで、教会の結婚式、暖炉の上の飾り、階段の装飾に使い、ガーランドブーケというトレイルをひいた豪華なブーケもあります。
ガーランドブーケ

日本列島付近を地図で見ると、太平洋の縁に沿ってアリューシャン、千島、日本、琉球、そして南はフィリピン付近まで太かったり細かったりしながら弧を描いてつながっている島々を確認できます。弧状につながっている列島を「花綵(ガーランド)列島」と呼ぶのは四季折々の花が咲き乱れる日本列島にぴったりで、とても気にいっています)


話は逸れましたが、縄文の食べ物はなに?
考古学者たちは、放射性炭素年代測定や年縞(ボーリングによる地質調査で分かる年輪のようなもの)、レプリカ法での情報検出、走査顕微鏡による鑑識などを駆使して、花粉や種子、果実などを調べ、縄文時代の植物の種類を特定しています。

これまでに分かってきたのは、ドングリ、クリ、クルミなどの堅果類を常食にしていたのではないかということです。青森市の三内丸山遺跡では、住居址の外まわりに大規模なクリ林があったことから主食はクリという説も出てきています。クリの木は固く建材として重宝されるので、植栽された林があっても不思議ではありません。でも甘い味のするクリばっかり食べていると飽きてしまいそうです。その点、ドングリの方が他の味の邪魔をしないのでしょっちゅう食べられます。ドングリは種類がたくさんあり花綵列島のどこでも採集できます。拾ったらすぐ洗って、5〜10分煮沸し、一ヶ月ほど風通しのよいところで天日干しをすると長期保存(10年くらい)できる優れものでもあります。

実験考古学から始まった「ドングリ食づくり」は縄文食づくりの定番となっています。八ヶ岳自然文化園の2012年6月29日縄文講座では総勢40人ほどでドングリクッキー、ドングリハンバーグ、ドングリおはぎに鹿肉とニジマスの薫製を作りました。

ドングリの調理法:
乾燥保存したドングリを剥くのと灰汁抜きが重要な作業です。力は必要ないのですが、時間がやたらとかかります。剥くときは厚板の上でハンマー(縄文では叩き石)で叩き割って、渋皮を取りながら剥きます。灰汁抜きは一晩流水で晒したドングリを中火で煮沸します。沸騰してきたらあくを取りながらお湯を汲みだして捨て、その分の水を追加する。この繰り返し作業を3時間ほどかけてします。灰汁抜きが終わったら布巾でしぼり、すり鉢ですり潰してめでたくドングリ粉の出来上がり。

灰汁抜き中のドングリ
ドングリをすり潰しているところ

ドングリクッキーはドングリハンバーグ、薫製の鹿肉やマスと一緒に食べるとパンの役目を果たしてくれます。エゴマとハチミツがたっぷりかかったドングリおはぎは美味しく、薫製類は見事でした。



さあ、いただきましょう!
縄文食の復元レシピではなく、現代人の味覚に合うように作った縄文食づくりは楽しいイベントでした。縄文時代に文字はなかったと言われていますが、そんなことはないまだ未発見なのだと信じている私は、縄文レシピが土器か岩に掘られていないかしらと探しているところです。

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