2012年7月13日金曜日

釈迦堂PAの謎


中央自動車道を東京方面から走ってきて、笹子トンネルを出ると、道路は下るいっぽうになります。スピードに注意しながら勝沼インターチェンジを過ぎると、まもなく釈迦堂PA
(パーキングエリア)のサインが見えてきます。


釈迦堂遺跡博物館のハナモモ
ぼんやり桃色











4月半ばになると、釈迦堂PAの辺り一面桃色に染まります。その頃、新宿へ向かう早朝の高速バスの車中で、私は首を左右に忙しく振ってその桃色を鑑賞します。帰りのバスは夜だし、乗用車だと車高が低すぎて鑑賞は無理です。釈迦堂PA付近に「日本一桃の里」という看板が立っていますが、なるほど斜面一帯に広がる桃色は日本一です。


甲府は夏は暑く、冬は寒い盆地です。フォッサマグナの中にある盆地が形成されたとき、周囲の断層からボコッと落ちて土砂が堆積し、数カ所に扇状地が作られました。扇状地は水に乏しく、稲作に向かないので、雑木林となって放っておかれましたが、明治時代に桑畑が作られました。戦後、養蚕業が衰退してから西の扇状地は住宅地として開発され、東の扇状地、一宮は桃、勝沼は葡萄と果樹栽培が盛んになったということです。

中央自動車道の建設に伴う発掘調査は沿道の各所で行なわれましたが、一宮 • 勝沼を通るルートでも1979〜1980年に発掘が行なわれました。そして、ナントそこで見つかったのは、縄文時代早期から晩期(9000年前〜3000年前)にわたって存在した大規模集落址でした。

そうなのです。美しい桃色大地の下には、縄文時代の遺跡が眠っていたのです。この釈迦堂遺跡からは大量というより膨大な石器 • 土器 • 土偶が出てきました。重要文化財に指定された5599点の出土品の中で注目されるのは、1116個体の土偶です。こんなに多くの土偶が出土するのは珍しいことで、考古学者は「発掘していて土偶が10点も出ると、大騒ぎになる」と言っています。出土土偶の数は日本で2番目、1番目を誇るのは新参者、青森市の三内丸山遺跡です。



釈迦堂遺跡出土の1116個体の土偶は、どれもこれも完全な形はありませんでした。頭、顔、手、足など全部バラバラ、文字通りバラバラ事件でした。



土偶というものは、ほとんどがバラバラ状態で出土しますが、近くにある破片同士がくっ付いて元の形になるのが普通です。釈迦堂遺跡内で破片をくっつけようとしましたが、くっつく相手が見つからなかったということです。顔だけ、手だけ、足だけの土偶のくっつく相手は何処にいってしまったのでしょうか?ミステリーだけが残りました。



7月7日、桃色の花は終わり、実がなり、「桃狩り」の旗がはためいている一宮、釈迦堂遺跡博物館へ、八ヶ岳自然文化園の縄文講座バスツアーで参加しました。この講座ツアーのよいところはそこの偉いさんの話を聞けることです。釈迦堂遺跡博物館事務局長の室伏徹さんの話は明確でユニークでした。何がユニークかというと考古学者が断言できないことをはっきりと断定口調で話されたことでした。土偶の99%は女性を形作っていると言うのが通説ですが、土偶は100%女性だと断言されました。

太古から女性は神であったと誰かが言っていますが、お腹の大きなヴィーレンドルフのヴィーナス(オーストリア)、チャタルホユックの地母神(トルコ)、そして縄文のヴィーナス(日本)などみなさん女性です。豊穣と多産を願う気持ちで作られた女神たちというのが定説で、土偶は、自分の体から蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆を生んだオホゲツヒメを意識しているらしいです。

ヴィーレンドルフのヴィーナス

チャタルホユックの地母神

縄文のヴィーナス 可愛いお尻

このことを踏まえて見学の帰途、バスの中で参加者が土偶について、一言づつ話すことになりました。私は、八ヶ岳山麓の温泉に入っていて思いついたことがあったのです。それは土偶のふっくらダボっのお腹は多産を願う女神のものだけでなく、子供を育て働いた年長者に敬意を払って作られた「縄文のオバン」像ではないかということでした。その事を披瀝すると、超真面目な参加者の皆さんの反応はとっても冷ややかなものでした(うけなくて、ガックリ)。

釈迦堂遺跡博物館へは、釈迦堂PA上下線どちらからでも歩いて行けます。パーキングエリアの上の方に博物館があるなんて、ミステリアスな感じで愉快な桃色斜面です。
博物館の中身に興味がなくても、入場料200円を払って2階から甲府盆地のよい眺めを見るのはお勧めです。

釈迦堂遺跡博物館

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