2012年11月3日土曜日

木の文化



縄文時代晩期チカモリ遺跡出土の幅92cmの木柱根

  日本は木の文化、西洋(大雑把な言い方)は石の文化といわれます。木の文化、秋だからすぐ思い出す、柿食えば鐘の法隆寺などの木造建築は、中国から入ってきた技術によってのみ建てられたのでしょうか?                          
  平安時代の公家の子弟たちは大きな建物を「雲太、和二、京三」と覚えました。一番大きい雲太は出雲大社、二番目の和は奈良(大和)の大仏殿、三番目の京は京都の平安京大極殿でした。平安時代、出雲大社は日本一の建造物だったのです。                                 
古代出雲歴史博物館ロビーに展示されている3本1セットの巨大柱(最大径135cm)
諏訪大社の御柱祭を、地元の人々は山から大きな木を引いて来るだけのものだよと謙遜します。しかしこの勇壮な祭りの起源は遥か昔、出雲から流れてきた神が土地のモレヤ族と戦って居座った頃からのものではないかと私はおもいます。

諏訪大社前宮の御柱

  諏訪と出雲の係わりをチェックしたくなり、2010年秋、出雲大社の隣で巨大柱根を見てきました。そして先月、小滝川のヒスイ峡へ行ったのち、縄文時代の巨木柱をたずねて糸魚川市の長者ヶ原遺跡ー寺地遺跡ー富山市の北代遺跡ー小矢部市の桜町遺跡ー金沢市のチカモリ遺跡を巡ってきました。
   
    
小矢部ふるさと歴史館桜町遺跡出土展示室にて



チカモリ遺跡出土の木柱(プール内で保存)

  縄文時代の細工された巨大木柱痕がゴロゴロあるのを見て、雲太、和二、京三と謳われたのは縄文時代からの日本の木の伝統文化があってのものだと確信しました。   

0 件のコメント:

コメントを投稿