2015年12月9日水曜日

The Oriental, Bangkok その1



オリエンタル・バンコクの旧館 現在のオーサーズウイング

   1862年、アンナは息子のルイズと一緒に蒸気船でシンガポールからバンコクに到着した。チャオプラヤ川を遡りながら椰子の林や黄金に輝く寺院のパゴダを遠くに眺めていたが、次第次第に家々の様子が視界に入ってきた。やがて、一つの家の屋根にフランス国旗がたなびくのを認めた。これは「王様と私」の冒頭に描かれている風景であるが、現在のフランス大使館はまさにアンナが見た場所に今も建っており、その隣にオリエンタルホテルが1876年にオープンしている。写真は最近オリエンタルホテルのフェイスブックに載っていたものだが、建物の位置はアンナの頃と同じだ。フランス大使館、オリエンタルホテルそして旧イースト・アジアティーク社屋が並んでいる。19世紀、世界各地にグランドホテル(近代的、本格的な大きなホテルのこと)が建てられ、横浜のグランドホテル、神戸のオリエンタルホテルもその頃にできた。私にとって「オリエンタルホテル」とは、長い間神戸オリエンタルホテルが「オリエンタルホテル」と決まっていたが、今となっては、「オリエンタルホテル」と言うと、マンダリンオリエンタルバンコク(旧名オリエンタルバンコク)しかありえない。

マンダリンオリエンタルバンコクのFBからの写真

    1992年、父のお供で初めてバンコクに行き、その頃の日本ビジネスマンご愛用ホテルと決まっていた街中のヒルトンホテルに宿泊した。父に「オリエンタルホテルは素晴らしいそうだから、一度行ってみたいわ」とお茶を飲みに行くと、そのまま宿を変えることになった。それが私とオリエンタルホテルの付き合いの始まりであった。
   シーロムロードからニューロードへ入り、アスンシオンスクールと旧イースト・アジアティーク社の細い道を右にちょっと坂を上がって車が停まると、シーク系インド人のドアマンが車のドアを開けてくれた。会釈しながら顔を上げると大きな木のドアが左右にすうーっと開いた。オリエンタルホテルの正面玄関ドアは自動ドアでないのに、いつでも出入りする時は自分で開ける必要はない。開いたドアからふあっと招き入れられるように入ると、そこは広くも狭くもない、落ち着いたロビーであった。入った正面には見たことのない花、後で調べるとハンギングヘリコニアが豪華にアレンジメントされていた。ロビーの天井からは大きなベル型のオブジェ数個が吊り下げられ、エキゾチックなムードを際立たせる。
ハンギングヘリコニアの装花


                                         

   オリエンタルホテルの居心地のよいロビーに座って人間を観察するのは楽しい。少しばかり緊張しながら入ってくる人、お洒落をしてウキウキと出ていく人、待ち合わせをしながらガヤガヤ話す人たちなど、人様々、お国柄も違う。夕刻、食事へのお迎えを待っている間、ロビーに響く弦楽四重奏団のヴィヴァルディの「四季」は心をときめかし、楽しい夜へと誘ってくれる。
  10年ほど前になるが、娘と滞在していた時のことだ。外出から帰ってくると、ホテル付近の警備がいやに物々しい。ロビーはいつもの雰囲気だけど人が少ない。昼下がりだからだと思いながらも、何かある様子なので「誰か現れるかも? 少し、ここに座っていましょう」と二人でロビーの隅に陣取った。よく見ていると、ホテルの私服警備員が数人いる上に、海軍の白い制服もいる。期待がふくらむ。15分ばかり経ったところで、黄金のロールスロイスが玄関に到着、現れたのは白い軍服姿のスペイン国王フアン・カルロス1世だった。このホテルで会合があるらしく、二階への階段を案内されながら上って行かれた。


マンダリンオリエンタルバンコクのFBから


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