2015年7月25日土曜日

瀬戸内ドライブ旅 その3 松山ー尾道ー呉

  愛媛県久万高原にある上黒岩岩陰遺跡から、山を下って松山市内に入った。上黒岩岩陰遺跡は今から50年前列島改造論で日本が掘り返される前に発見された遺跡なので、考古学界もまだ静かな頃だった。この遺跡は、1961年から1970年まで5次にわたって発掘調査されたが、2009年に再調査が行われ、整理報告書も刊行され、遺跡の重要性が再確認されている。その考古館の鄙びた佇まいは、昔の長野県茅野市尖石縄文考古館などを彷彿とさせた。上黒岩岩陰遺跡で思いのほか時間をすごしたので、松山城には上がらず、城下町をチラと見ただけで、私にとっては夏目漱石の『坊っちゃん』ではなく『坂の上の雲』の秋山参謀の町、松山を後にした。

   その夜の宿泊地は尾道にあった。今治から「しまなみ海道」の島をつなぐ橋から橋へと、ひたすら雨の中を走った。この辺りは和田竜著『海賊の娘』の舞台となった村上水軍根拠地だと、雨にそぼる島影を追った。

   当初の予定では、尾道でゆっくり坂を散歩しようと計画していたが、寄り道したために着いたのは午後7時近くだったので、坂道歩きは止めた。予約していたグリーンヒルホテルは名前とは違い、平地の尾道駅近くで、部屋の窓から下を見るとそこは波止場、波がチャプチャプ打ち寄せていた。目を上げると、さっき横切ってきた向島が見えた。尾道の波止場と向島の間では、小さい渡しフェリーが行ったり来たりしていた。高校生たちも列をなして乗ったり降りたりしている港町の日常風景に心を動かされ、尾道の坂を登らなくてもこれでいいとおもった。尾道は長崎を縮小したような町で、想像していた鄙びた尾道とは違った。林芙美子はもう遠い昔のことなのか、最近の映画のロケ地ばかりが話題になっているようだった。

 翌朝、大和ミュージアムは9時からオープンなので、それに間に合うように出かけた。館内には戦艦大和の十分の一の模型が据え付けられていた。大きすぎる大砲を備えた巨艦、明治時代の戦争でないのに、よくこんな巨大戦艦を作ったものだとあきれた。戦艦大和は沖縄戦に特攻出撃して沈没し、戦死者は2740名にものぼった。大和のそばには零式艦上戦闘機六二型も展示されていた。資料展示室は高校の修学旅行生で混雑していた。その昔、大勢の若者の生命が平和な日本の礎となったことをしっかり理解することを願いながら、その部屋を歩いた。
 
 大和ミュージアムの向かいには、海上自衛隊呉資料館に接して大きな物体が設置されている。その物体が何かわからないまま資料館に入館した。展示室には、現在国会で質疑応答されているホルムズ海峡の機雷の除去、掃海についての歴史等々が展示されていた。入り口で潜水艦の中にも入れます、と婦人自衛官が説明してくれたが、「そう?」と首をかしげた。3階からその中に入って気づいたのだが、外で見た大きな物体はホンモノの潜水艦だったのだ。そして、今、その中に入っている。館長室、食堂、士官や乗組員のベッドなどを見た。奥に進むと、案内係が潜望鏡を覗きますかと言う。「何?潜望鏡?映画“眼下の敵”や“深く静かに潜航せよ"のあの潜望鏡?」そうだ、目の前のものが潜望鏡なのだ!覗くと港の船が見えた。案内係が「こうやって回します」と説明してくれる。すると、見える、見える。潜望鏡を覗くことができたのだ!「ここに座ってください。面舵、取り舵はこう、こうすれば上下、操舵してみてください」「軽いのですね」操舵捍も握った。満足して外に出ようと、出口でその物体を見ながら「あー、やっぱり潜水艦だ!」と感嘆したら、解説してくれた老水兵さん(退役海上自衛官)は笑っていた。「潜水艦に乗って、どの方面へ行かれたのですか?」「それは言えません」それはそうだ、軍事機密だもの。

潜水艦内の夜間照明
操舵捍を操る
 最後に伊400型潜水艦の模型を見た。5月にNHK「歴史秘話ヒストリア」で放映された「幻の巨大潜水艦伊400日本海軍の極秘プロジェクト」で取り上げられた潜水艦だ。これは世界初の潜水空母で敗戦後、アメリカ軍によって徹底的に調査された。そしてソビエトへの技術漏洩を恐れ、ハワイ近海などで沈められたが、この飛行機搭載技術はミサイル搭載技術へと開発が進んだ。現在では北朝鮮も本当かどうか分からないが、潜水艦からミサイルの発射実験をしている。伊400型の模型の側には、その艦で使われた双眼鏡がアメリカ軍の双眼鏡と並んで置いてあった。当時の日本軍の双眼鏡で帰港してきた自衛艦を見ると、白い服の士官と黒服の水兵が話をしている様子がはっきり分かったが、アメリカ軍の双眼鏡では船が入港しているとだけしか見えなかった。
陸上の潜水艦 

   この夏は敗戦から70年目の終戦記念日がくる。日本には1万年以上も争いのなかった縄文時代があるが、それに比べると70年などアッと言う間の短い期間である。その70年の間に平和をどんな形で守ったにせよ、これからも、この日本列島は上品な平和な島として、地球上のお手本となってほしい。

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