2014年3月5日水曜日

ランナー王国を復興?

タイ北部が分離独立?=陸軍、タクシン派を告発

 【バンコク時事】タイ陸軍は3日、タクシン元首相支持派の一部組織が刑法に違反し、タイ北部の分離独立を唱える活動を行ったとして、組織幹部を警察に告発した。
 告発されたのは、インラック首相の地元である北部チェンマイ県のタクシン派組織「ラック・チェンマイ51」幹部ペチャラワット氏。「ソー・ポー・ポー・ラーンナー」の名称を使って北部の分離独立を訴える横断幕を掲げるなどしたとされる。

 ラーンナーは13世紀末から19世紀末にかけてタイ北部に存在した王国の名前で、「ソー・ポー・ポー・ラーンナー」はタイ語で「ラーンナー人民民主共和国」の略語を意味する。インラック首相の辞任を求める反政府運動が続く首都バンコクや南部に対抗した動きとみられる。(2014/03/03-20:23)

 タイ王国で分離独立を騒いでいるのは、南部に住むイスラム教徒(タイ王国では仏教徒95%、イスラム教徒3.5%ほど)だろうと思っていたら、北部だという時事通信の記事や、BBC Newsを見て驚いた。インラック首相の地元はチェンマイだからそれもありなん。インラック首相の兄タクシン元首相は現王制を廃して、自分が王様になろうとしていると聞いたことがある。プミポーン現国王が王位につく以前は、不自然な出来事が王室内に度々起こっていたからありうる話であるが、それにしても不遜なことだと憤慨していた。

 「北方のバラ」と称されるチェンマイはバンコクの北約700kmにあり、バンコクから飛行機で1時間10分、高速道路で8〜12時間、タイ国鉄では12〜15時間かかる。チェンマイからバンコクに行く途中にあるスコータイはジャングルの中から発見された遺跡であり、スコータイ王国はアユタヤによって吸収され完全に消滅した。アユタヤ王国はビルマに征服され、荒廃したが、都をトンブリに移したサイアム王国に引き継がれた。

 ランナー研究者ハンス・ペン(Hans Penth)は 、"The Brief History of Lan Na"という著書のはじめに「北部タイに興味のある人々にランナーの簡単な歴史を伝えたいと思うが、研究が始まったばかりであり、不明な点や空白の部分もある。しかし、過去が現在にどう繋がっているか、現在が過去にどう関わっているかを知って欲しいと思う」と記している。20年前の本だが、ランナーの歴史を簡潔にまとめた読みやすいものである。過去と現在との関わりは断ち切れるものではない。だから今回のようなランナー独立運動「ソー・ポー・ポー・ラーンナー」が起こったとみてよい。

 13世紀に興った「ランナー王国」はチェンマイを中心とした都市国家の集まりであった。その広さはタイ北部、中国雲南省最南端シプソンパンナーそして、ラオスやミャンマー(ビルマ)との国境付近までおよんでいた。ランナーはビルマの支配下にあってもその文化伝統を守り続けた。1939年にランナー王カオノワラットの崩御後は王位継承はなされなくなり、ランナー王国はバンコク政府に吸収され、その歴史を閉じた。タイの歴史を読むと、スコータイ、アユタヤ、トンブリ、ラッタナコシーン(チャクリ)王朝と単線的な国史をつくっており、ランナー王国のあったことは無視している。それに、バンコク中央政府は、ランナー(チェンマイ地方)の言葉や文化を教育することを禁じている。  (つづく)



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