2013年3月30日土曜日

まぼろしのまほろば 三内丸山遺跡

 2011年9月11日、大湯環状列石でガイドをしてくださった川口さんは、プロカメラマンで世界を飛び回っている方でした。東京在住で、故郷の秋田県鹿角市(大湯環状列石の所在地)とを往復されているとのことでした。彼は学生時代に八ヶ岳山麓を旅したことがあり、「センセキ遺跡にも行ったよ」と話していました。センセキ?八ヶ岳のセンセキ遺跡???そうだ、尖石(トガリイシ)遺跡のことだと、しばらくして分かりました。八ヶ岳山麓に住んでいると、縄文は八ヶ岳だという思いが強くあります。「国宝土偶 • 縄文のビーナス」のある尖石縄文考古館は、超有名な縄文の考古館だと自負していました。ところが、川口さんのように大湯環状列石のガイドをされ、世界中を歩きまわっている方が「センセキ遺跡」とは。何と言うことでしょう。国宝土偶もわやくちゃだと、ガッカリしました。(正しくは、「縄文のビーナス」は茅野市棚畑遺跡より発掘され、茅野市尖石縄文考古館で展示されています。)

  大湯環状列石を後にして、一本道で迷うことのない国道103号線をひたすら十和田湖目指してクネクネ走りました。十和田湖からは奥入瀬渓流に沿っての下りです。50年前とは打って変わって美しく整備された道には、大型バスも停まり、観光客がウロウロしており、昔の静けさはありません。奥入瀬の流れを横目で見ながら運転していると、今度はまた登りのクネクネ道になりました。馬力のないプリウスの運転に右足が疲れ、いい加減運転に飽きてきていた時、その日の宿泊先である「八甲田ホテル」の案内板が、突然現れました。誘導されるように103号線から離れると、そこはもうホテルの玄関でした

ホテルの玄関先


セントバーナードのお迎え















 八甲田ホテルは2008年の洞爺湖サミットに先立つ「G8&G5エネルギー大臣会合」が開催されたホテルとして有名になったそうです。「自然に抱かれるしかない」というコンセプトで、ブナの森に囲まれた日本最大級のログハウスホテルというのをウエッブサイトで発見したので、一夜の宿として選びました。近くには日本一の積雪量で有名で、2013年2月には5m66cmを記録した酸ヶ湯温泉がありました。

 翌朝2011年9月12日、ホテルの広くて、雰囲気のあるレストランで朝食を終えたあと、売店でゆっくりとお土産を選びました。家で待っている母には地元塗りのマイ箸と刺し子のマイ箸入れを買い求めました。

八甲田ホテルのレストラン
 大雨で八甲田大岳も何も見えず、八甲田山雪中行軍遭難の碑を通り過ぎ、青森市へと、これまたクネクネ道を下り、三内丸山遺跡へたどり着きました。
 三内丸山遺跡の入り口の建物は総ガラス張りで「縄文時遊館」と名付けらており、その立派さは佐倉にある「国立歴史民俗博物館」についでの立派さだと感心しました。入り口の建物からは遺跡は全く見えません。ボランティアガイドツアーは毎正時から始まるとのこと、着いたのが11時過ぎだったので、12時からのツアーに参加することにして、「さんまるミュージアム」から見学をはじめました。どうも展示方法が幼稚な博物館という印象を受け、ガッカリでした。



 「三内丸山遺跡では、尖石から井戸尻にかけての八ヶ岳山麓の土器との違いを見てくればそれでいい」と考古学者で阿久友の会の会田進さんがメールをくださったことを思い出しました。なるほど、博物館には大量に出土した土器が大量に展示されていました。しかし、いつも見慣れているダイナミックな縄文土器とは違うシンプルなものだったので、私はあまり感動しませんでした。



 珍しいと思ったのは「クロスの形をした大型板状土偶」(重要文化財)でした。お目当ての「クルミが入っていた漆塗りのポシェット」は夏期だけの展示ということで、残念無念見ることはできませんでした。





 12時からのガイドツアーに参加しようと、ツアー参加者の集合場所である入館口のインフォメーションに戻って待っていたら、ケータイが鳴りました。何だろうとケータイに出ると「おかあさんが亡くなった。」
 三内丸山遺跡の見学はこれでお終い。東北のまほろばは「まぼろしのまほろば」となりました。

(その前夜、八甲田ホテルにいた時、母はメールをくれました。朝にはお土産のマイ箸も買いました。最期まで元気そのものの母でした。)
 

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