2014年2月24日月曜日

雪の中で



 門までの通路拡張工事終了。年寄り(後期高齢者というらしい)がスコップ2つで成し遂げた仕事にしてはスゴイと思わない?と自画自賛。


 雪かきの他は特にすることなし、図書館もお休みになってるし、役に立たないクロネコは、今朝やっと富士見町、原村の集配を再開したばかりだからアマゾンにも頼めない日々が続いていた。雪ばっかり見ているのに飽きてきた。色付きのものが欲しいのでベゴニアを窓辺に飾った。それもひとときのなぐざめに過ぎない。色のあふれる世界を夢みる。

オリエンタルホテルのロビー

   夢みるカラフルな世界の一番目は南国、タイ。チャオプラヤ岸辺のベランダレストラン(オリエンタルホテル内)で川風に吹かれながらフレッシュスイカジュースを飲み、カオトンの朝食をとる。


パワナガーデンホテルの庭園

   チェンマイ近郊ランプーン・タカ村にあるパワナガーデンホテルはオーナーが花を植えまくるのでいつも花で満ちあふれている。コテージから花の道を歩いて食堂棟に出向き、パワナさんの美味しいタイ料理をシンハビールとともにいただく。



ベリーニにご満悦

   ベリーニの色は美しい。ベネツイア、ハリーズバーのジュデッカ店“ハリーズドルチェ”で運河を見ながらベリーニを楽しむ往年の母。  


"Dukes Hotel" St.James, London
    ベリーニがハリーズバーの生まれなら、マルティーニ(マティーニ)はデュークスの十八番である。チャーチルもジェームス・ボンドも好きだったマルティーニを、デュークスホテルの陽気なイタリアンバーテンダーが得意満面でサーブしてくれた。


 ウィーンのホイリゲではワインだけでなく、地ビールも美味しい!どっちも飲みたい。




   夢みるは夏の我が庭。アズマギクが群生し、ブットレアには蝶々が飛び交う。今年の夏はこのほかに、何を咲かせようかな。

Facebookでギネスも春を待っていました。
“Dreaming of warmer weather?  Us too.

2014年2月17日月曜日

八ヶ岳山麓、大雪ショック

 2014年2月14日、サラサラ細かい雪は、途切れることなく空から舞い落ちて来た。


降り出した頃

 夕方、一週間前と同じ深さになった。
15日朝、庭を見て驚いたのなんのって。こんなに積もってどうするの!ランドローバーも庭のテーブルも見えない。ありえない風景が出現。

車庫がつぶれる!
軒先まで!



 15日土曜日、「これでは何処へも出れないし、救急車も消防も来れないから気をつけよう」と決め、家に閉じこもり。この惨状を長崎の妹、淡路島と岡山の弟に写メールで送信。アマチュアパイロットの弟は「食料品はあるの?」と心配してくれて、「もし底をついたらパラシュートで落としてあげる」と心強く励ましてくれた☺️


        潰れそうな車庫周辺だけは除雪。門ははるか遠くに見えにけり。




  16日、外界へ出られないのは危険だと、門まで人用通路の雪かきを決意。雪はパウダーで軽くて仕事はし易いと始めたが、途中からそんなこと言ってられなくなる。必死に雪をかいて、どうにか門に到達したものの、なんと除雪車がそこに雪の壁を作り、門が塞がれていた。

  今日、17日は、車が出られるようにと雪かきを頑張ったが諦めた。富士見町では中央線、中央道、国道20号線もまだ遮断されたまま。国道に近い我が家でも心細いのに、山岳部、山奥の人たちの事態は深刻だろう。山梨県長坂のアイリッシュパブ “ブル&ベア”のゴンさんは、パブの前の公道に除雪車が来ないとFacebookにアップしている。昨日は日曜日のせいか、国も県も動かなかった。テレビではオリンピック関係や、いつものバカ番組ばかりで腹が立つ。今朝になってやっと長野県知事はNHKニュースに現れて「現場の確認に手間取って、、、」と、災害の確認をする必要が何処にあるの?
  こういう場合、高速道路や線路の除雪に自衛隊派遣を要請してよいのではないか。国民のライフラインを確保するのが政府の仕事だろうに。
 八ヶ岳山麓は雪の少ない地域である。そこにこの豪雪!これが災害でなくて何だろう。





2014年2月12日水曜日

ソチの花束

 
   ソチ・オリンピックの花束はどんなのかなと待ちわびていたら、今朝(2月12日)それを持つ若い男性が2人も現れました。自分のお金で行っているわけでもないのに何回も出場し、悪びれる様子もなくマスゴミ(普通はマスコミという)のインタビューで話す高齢選手たちに腹を立てていたので、やっと気分がスカッとしました。                                                                                            

                                                     ワーイ!   ダブルコークならぬダブルH  !

ソチ・オリンピックのビクトリーブーケは、男性の手のひらサイズで、素朴な感じがするナチュラルなもので、いいね!




  飛び上がったり、飛び降りたりするのを見るのは好きなので(出来ないのが残念、今度生まれ変わったらしようっと!)スノーボードは好きな種目です。ショーン・ホワイトは残念ですが、彼ももう高齢になってきているので、、、、。


オーストリア選手がポーズする五輪
   冬期オリンピックの花形である滑降、大回転などのスキー競技に日本選手はいないようですが、コルティナ・ダンペッツオ・オリンピックのトニー・ザイラー、長野・オリンピックのヘルマン・マイヤーの国、オーストリアでは主要種目です。オーストリア国営放送ORFは、スタジオに金銀銅のマトリョーシカを並べてソチでは何個取るか意気込んで話しています。初日に銀1個が置かれていました。



 ここに高梨沙羅のクローズアップ写真を載せたくありません。彼女がマスゴミに登場した時、修道女みたいな顔つきをしているなあと心配していました。その顔つきはソチでも変わりませんでした。一つのことを思い詰めている顔です。
 ソチでは朝4時に寝て、お昼頃に起きていたとか? 彼女の肩を抱いて、リラックスさせる人はいなかったのでしょうか。
マスゴミに囲まれた沙羅

オーストリア以外の写真は毎日新聞、オリンピック取材班山本晋撮影のもの

2014年1月29日水曜日

タイランド


ラーチャプルック 国王の花
    タイ王国では、このほどインラック・シナワトラ首相によって国家非常事態が発令された。日本のニュースコメンテーターらは「タイの情勢は複雑で、、、」と言葉を濁す。

    父からタイ人の学友(慶應義塾大学)ソンマイさんの話を小さい頃から聞いて育ったので、私は断じてタイ贔屓である。しかもソンマイさんは大蔵大臣を長年にわたって努め、国王の寵臣であった。ソンマイさんの火葬式には、国王夫妻、皇太子も参列なさった。それをこの目で見ている私は、王様を大尊敬しているなどと硬いことは言わずに、ファンである。そして、タイの動向を誰よりも案じ、注目している。

Hua Hinの離宮を守るタイ海軍軍艦
   1992年に起きた王宮前広場でのデモ隊と軍の衝突の際、プミポーン王にスチンダ首相とチャムローン元バンコク都知事が跪いて拝謁し、王の和解を受け入れたニュースは世界中を驚かせた。でも、現在、国王は心臓病で体力もお衰えておられるので、タクシン一派と反タクシンの衝突はどう収まるのか。

ソンマイさんファミリー 2014年1月
タクシンが首相になった時、ソンマイさんの家族もタクシンを応援していた。しかし、タクシンの不正疑惑が明らかになってからは、反タクシンになっている。今回のデモにも、ソンマイさんの息子は70歳なのに頻繁に参加しているという。そして、タクシンの傀儡である妹のインラック政権を"The Corrupted Government"と非難している。

    日本のテレビコメンテーターは「タイは中華系が牛耳っているから、それもあるでしょう」などと発言しているが、現在のタイでおいそれとタイ系か中国系かを見分けるのは難しい。中国系の人々は昔の排斥運動以降はすっかりタイに同化している。ソンマイさん一家は三世代前に海南島から来た中国人だし、タクシンもタイ北部チェンマイでは裕福な中国系である。

 ということは、バンコクと地方の貧富の差から問題が生じ、現在の情勢に至ったのだろうか?

ランプーンーチェンマイ間の古い街道
 タクシンはチェンマイ出身だ。タイシルクのジム・トンプソンと並んで有名なシナワトラシルクは、タクシン・シナワトラの親戚が経営している。チェンマイにはバンコクよりも古くから中国人が住み着いており、大商人が多い。なぜバンコクより古くから中国人がいたのか。それはチェンマイが古都であるからだ。それもバンコクの王朝の古都ではなく、ランナー王国の都であった。同王国は、1931年にバンコクの政府に統合された。


毎年2月恒例のチェンマイフラワーフェスティバル
 ガーイさんというチェンマイ大学農学部教授の奥さんは、バンコクナンバーの傍若無人な駐車の仕方を見て、「南の人は行儀が悪い」と怒っていた。ランプーン博物館を案内してくれた際には、「バンコクの政府はチェンマイの言葉を学校で教えるのを禁じ、ランナー文化を抹殺しようとしている」と嘆いていた。そういえば、タイの国史を読むと、ランナー王国はどこにも出てこない。スコータイに始まり、アユタヤ、トンブリ、ラッタナコーシン(バンコク)と単線的な国の歴史をよしとしている。



 タクシンは政権を取った当初、医療費を無料にした他にもきめ細かい政策を行ったので、地方の人には大いに受け入れられた。チェンマイ出身というだけで支持を得たわけではないだろうが、ランナー文化をバックに持つ人たちには、我らの味方という心情がタクシン派支持に繋がっているのだと私はおもう。単線的に物事を考えない方がいいな。日本人は白か黒かをすぐ決めたがるが、世界にはそれだけでは決められないことが多い。


バンコクからチェンマイへの鉄道 

2014年1月12日日曜日

壽初春大歌舞伎

元日の富士山(精進湖より撮影)
  お正月三箇日は天気に恵まれ、穏やかなよい日々であった。しかし、脳天気な首相に引きずられている感のある日本国を憂う日々でもあった。首相は私の好きな長谷川町子の「意地悪ばあさん」を読んで、意地悪する絶妙なタイミングと知恵を学んで欲しいとおもう。意地悪するにはユーモアがなければただ人の嫌がることをするだけなのだから。他人の嫌がることをするのは賢くない証拠だ。


 そうこうしているうちに1月7日になった。剛毅な従兄が「壽初春大歌舞伎」1階西5の1番すなわち花道側桟敷席に招待してくれる日なのだ。昨春、新歌舞伎座が完成したので、ご招待がくるかどうか案じていたが、暮れに従兄から「歌舞伎座新開場柿葺落 壽初春大歌舞伎」への招待メールが届いた。早速、私は例年のように、夫同士同大学同学年卒、妻同士同大学同学年卒、しかも娘同士も親と同じ女子大同学年だったという珍しい関係にある夫妻を誘った。従兄は毎年4人誘ってくれるのに、何と今年は6人揃えてくるようにとの指示だったので、もう一組親しい夫妻を誘った。素晴らしい従兄のおかげで得意満面、意気揚々と6回目の新年歌舞伎鑑賞へ出かけた。

歌舞伎座玄関の様子を2階から
地下鉄からつづく「木挽町広場」の人波をかき分け、正面入り口に到達した。正面玄関前は広くなり、歩道まで人がはみ出すことはなくなっていた。正面破風は大きくなり、カメラに入りきれない。建物の中に入ると、新しいが違和感はなく、元通りの『イラッシャーイ』でホッとした。

4階

3階
開演までのひととき、新館内を見て回った。土産物売り場のごちゃごちゃも、お手洗いの混み合いも解消されて小綺麗になっていた。4階席まで上がり、各階の目線をチェックして席に戻った。

 演目:1、天満宮菜種御供(時平の七笑)
    2、梶原平三誉石切
    3、松浦の太鼓
    4、鴛鴦襖恋睦
幸四郎、吉右衛門の贔屓兄弟出演と好きな演目「松浦の太鼓」だったので、「こいつあはるからえんぎがいいわい」と相成った。


初春の歌舞伎鑑賞が6回目になることに気づいたのは、夫がプログラムを残して置いてくれたからだ。帰宅して、歌舞伎の余韻に浸りながら6冊をめくっていると、2009年の「鷺娘」の玉三郎の艶やかさを思い出した。さらに2010年の歌舞伎座さよなら公演では團十郎の弁慶、勘三郎の義経であった。




緞帳のお披露目


2013年12月31日火曜日

年末、岡山への旅

  クリスマスの飾りを片付ける間もなく岡山へ。年の瀬の忙しい時期に岡山へ行ったのは、弟の会社の創立60周年記念小祝賀会兼忘年会へ招待されたからだ。恐れていた高速道路の渋滞は行きも帰りもなく、スムーズだったのはよかった。

  岡山に着いた翌朝、ポートオブ岡山からモーターボートで犬島、牛窓へ。犬島には1909年に建設された銅製錬所があったが、現在、その遺構は近代化産業遺産に指定され、さらに犬島製錬所美術館として新しい装いを凝らしている。美術館は日本の近代化に警鐘をならした三島由紀夫の思想をモチーフにしたアートワークで構成されており、迷路を抜けたり、鏡のマジックがあったりなど、摩訶不思議な空間である。しかし、趣向を凝らした美術館より、外の製錬所遺構を見て歩く方が私は好きだ。公害に注意をはらうこともなく、まだ船の利用が活発だった明治の頃を思いながら瀬戸内の海を眺めると、自然に歴史が体感できる。製錬所跡地の壁を作っている黒い煉瓦の黒光りに魅せられていた私は、二回目の犬島再訪で、それをまた見ることができてうれしかった。

  美術館を出ようとした私たちを呼び止めたオバアさんに、黒い煉瓦を何というのか知ってるかと尋ねられた。急いでいたので関わりあいになりたくなかったけれど、正直に「知らない」と言ったのがまずかった。「知らないとはここに来た価値がない。カラミレンガと言って、銅を製錬したカスの鉄とガラスでできている。だから縞が入り、ところどころ光っている。それを知らずにどうするか」という風に怒られた。「きれいだと思っていて、また見に来れたのを幸せに思ってる」と言い返したかったが、時間がないので素直にお礼を言って退散した。あのオバアさんは若い美術館員も一目おく島びとらしい。

                       
カラミレンガ



   犬島の次は、牛窓リマーニ(天満屋のリゾートホテル)のマリーナにボートを留めて、「ちょい蕎麦庵」へ。岡山でもお蕎麦かと思ったが、弟が誘ってくれたのだからとついて行った。そこは翁の創始者「翁達磨」の弟子の店で、案の定、こだわりの店で一日20食限定、来たもん順。幸いにも二番目のグループだったので、暖簾がでるとすぐ入店できた。  
   今日は4種類の蕎麦から好きなのを選ぶ。選んだ会津の蕎麦と北海道の田舎蕎麦は美味しく、そばつゆも洗練された味で納得のお蕎麦だった。蕎麦屋の主という者は概して無愛想で、食わしてやるという感じが私のイメージだが、ちょい蕎麦庵主は腰が低く、丁寧で、愛想のよい人だった。客を出迎え、お茶を運び、お蕎麦の説明から調理、お運びまで、たった一人でこなしていた。「信州から来ましたが、信州のお蕎麦はどうでしょう?」と訊ねたら、「長野の蕎麦もよいが、長野県内で消費してしまい、こっちには廻って来ない」との返事だった。長野県人は蕎麦しか食べないのかな?

ちょい蕎麦庵店内
                 

 帰る日の朝、後楽園を半分ほど見て廻った。ゆっくり見物しなかったのは、京都でお墓参りするついでに「逢坂山、日本一のうなぎ かねよ」でお昼を食べる予定を組んだからだ。久しぶりの後楽園は、その広さに驚いた。「お殿様は広大な庭園を歩いて疲れると、家来に命じて床几を持ってこさせたのだろう。私も家来が欲しいな」とつぶやきながら、茶屋でお抹茶を一服。そのあと岡山を出たのは昼過ぎだった。
 
 「かねよ」に電話して、今日の営業は何時までか訊ねたら、「今年最終の営業ですので、3時には終わらして貰います」との返事。3時には間に合わないと諦めてしまったが、道は空いていたし、ドライバーが猛然とスピードをあげて運転したので、2時半には京都東インターに到着。かねよに電話すると「大丈夫です。お部屋もありますよって気いつけてお越しやす。おおきに」
 
  お墓参りの前に「かねよ」で日本一のうなぎと、これまたマイウーの鰻巻きを伏見の銘酒キンシ正宗でいただく。先に「かねよ」に行ってしまったので、うなぎのついでのお墓参りとなってしまったようだ。

後楽園