松山インターを降りて上黒岩遺跡考古館に電話し、今から行く旨を話すと「松山からやと40〜50分かかります」という返事があった。ここまで来て40〜50分で躊躇してはならぬと高知へ通じる国道33号線を久万高原へ向かった。途中、砥部町の国道分離帯には、大きな陶磁器が点々と据え置かれているので、砥部焼きに心惹かれたが、これまた寄り道はならぬと先を急いだ。砥部町から上り山道になり、三坂峠に完成したばかりの新しい長いトンネルを走り、そのあとはクネクネした山道を標高800mの久万高原へ40分ほどで着いた。ここは四国の軽井沢と呼ばれているそうだ。松山までの高速道から見た四国山脈の険峻さに驚いていたが、後になって西日本一高い修験の山霊峰石鎚山は、愛媛県西条市から久万高原へかけて所在すると分かり、高速道から望んだ山の急峻さと神々しさに納得した。
上黒岩岩陰遺跡の考古館に着くと、ご婦人が待ってましたとばかりに出迎えてくれた。お出迎えに恐縮していたら、「主人が館長ですが、今日は家の普請なので、私が留守番してます」とのこと、先ほど電話した相手は館長夫人だったのだと、さらに恐縮した。質問すると「私は何もわからないので」と、言いながらも付いて回ってくださるので、こちらは少し閉口した。考古館の隣家、竹口さんの息子が土器片を見つけ、それを教育委員会に報告したのがきっかけで、この遺跡の発掘調査が始まったとのこと。素人による発見が貴重な遺物や遺跡につながることはよくある話だが、彼らの誇りは如何許りだったかと、発見した当時(1961年)は中学一年生だった竹口義照さんのことを考えた。館長夫人は、古い発掘現場の写真にある学生服姿を指差して「これが主人です。今じゃ歳とってあきません」と館長夫人は嬉しそうにちょっと得意そうに笑っていた。
石偶 |
鏃の刺さった骨(鏃は外れてしまったとのこと) |
0 件のコメント:
コメントを投稿