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仮面の女神 |
国宝といえば、京都や奈良の有名な仏像を思い浮かべるが、粘土で作られた国宝が全国に5つもあるのを知っている人は少ないだろう。5つある、否、5つ
しかない国宝指定の縄文時代の土偶のうちの2つが、このほど小さな町(市)に存在することになった。茅野市だ。その当の茅野市は今や大騒ぎ。大騒ぎといっても地味な信州人だから、大阪人のように大大騒ぎするわけでなく、控えめなことこの上なし。答申されたのだから、“国宝土偶”の「仮面の女神」と堂々とアピールすればよいものを、「まだ国宝とは言えない。5月末まで待とう」と茅野市長がつぶやいていた。5月末はおろか、8月になっても未だに文部科学大臣から正式のお達しがないので、「国宝・仮面の女神」の幟旗は静かに丸められたままだ。
土偶とは、縄文時代に作られた素焼きの土人形(ひとかた)のことである。一番古いのは1万3000年前のもので、三重県の粥見井尻遺跡で出土した、小さいのに女性とはっきり分かる土偶だ。それから縄文時代が終わるまで約1万年間作り続けられ、現在1万5000体ほど発掘されている。その中でも「遮光器土偶」は教科書にも載り、最も知られている。これは明治時代、先史学研究をリードした坪井正五郎がロンドン留学中に「遮光器をつけた土偶」とみなしたもので、いにしえにロマンを求める人たちはそれを宇宙人だと噂し合っている。
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粥見井尻遺跡 6.8cmの土偶 |
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遮光器土偶 |
国宝の土偶がもう一つ増えたと静かに喜んでいる茅野市尖石縄文考古館には、1995年6
月に国宝に指定された「縄文のビーナス」が特別展示室に鎮座ましましている。それと同じ展示室に、未だ重要文化財のままの「仮面の女神」が存在している。
八ヶ岳西南麓で縄文文化が一番栄えた約5000年前、幼い巫女が急死した時、一緒に葬られたのが「縄文のビーナス」だと言われている。幼い巫女はこのふっくらとした、雲母がキラキラ光る「ひとかた」を大切に崇めていたのだろう。普通、土偶は壊され、バラバラ状態で出土しているが、不思議なことに「縄文のビーナス」は完全な形で埋められていた。「仮面の女神」は「縄文のビーナス」より約1000年後に作られたもので、これも墓であろうと見られる土壙からほぼ完形で出土している。
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縄文のビーナス |
土偶が国宝となるには、出土状態が明確でなくてはならない。「縄文のビーナス」が1986年に棚畑遺跡を発掘中に出土した際、出土を裏付けるために現場で記録写真が撮影された。それから14年後の2000年、中ッ原遺跡発掘中に土偶が出土すると、今度は警備員の監視の下で出土の様子を記録し、現地説明会を開くなど、さらに慎重を期したという。「縄文のビーナス」と「仮面の女神」両方の出土に携わった当時の学芸員、守矢昌文尖石縄文考古館館長は、そう話していた。彼は今年4月に館長になったばかりのホヤホヤなので、喜びはひとしおだろう。
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可愛い後ろ姿 |
愛らしい「縄文のビーナス」の後ろ姿が私は好きだ。でも存在感は「仮面の女神」の方が断然ある。これまでにも時折、尖石縄文考古館に出かけては両方を愛でていたが、ある日、頼みもしないのにボランティア解説員がそばに来て解説を始めた。「自分の考えだが、『仮面の女神』の時代は縄文時代後期で気候が寒くなり、食糧が不足したため、仮面を被って“間引き”をして廻っていた人がいたのだと思う」と語った。その時、私は「江戸時代の飢饉じゃあるまいし、未知に包まれたロマンをぶち壊すようなことを、自説とはいえ言っていいのか?私みたいに縄文時代を理解している人ならともかく、そうでない人に言ったら、間違ったイメージを植えつけることになる」と、腸が煮えくり返った。それからしばらくの間、「仮面の女神」を見る度に暗い気持ちになった。
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仮面の女神 |
今年3月、「仮面の女神」が国宝に答申されたと新聞に載ったとき、小学生のコメントがあった。「仮面がちょっと怖いけど、かっこいい!」素直なコメントをしていた。その通り、
仮面の女神はかっこいいよ!
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2014年8月21日国宝指定『仮面の女神』 |
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