2015年5月13日水曜日

アンデスにひかれてマメ探し

 長野県原村にある縄文阿久友の会に入ってしばらく経った2012年1月、レプリカ法の講習会があると聞いた。何でも東大アンデス調査隊に参加したことのある先生が講習するという。なぬ、それは1960年代に泉靖一が率いたアンデス調査団だ。中学生の頃からインカ帝国に興味を持っていた私は、インカ、アンデスと聞くと直ちに反応するタチだったので、マチュピチュを発見したハイラム・ビンガム、東大アンデス調査団の泉靖一、実業家でインカ文化研究者天野芳太郎は憧れの人たちだった。
天野芳太郎との大切な写真
1967年10月、夫の仕事でペルーに行くことができた。現地では魚網関係の仕事をしていた高橋さんにお目にかかり、インカに興味があるのでマチュピチュにも行きたいなどと話をしたら、天野さんとは懇意だからと、すぐにアポイントを取り天野博物館へ案内してくださった。
 クスコのミラフローレスは高級住宅街で、そこに天野さんのお宅と博物館があった。昼下がりの訪問だったので、天野さんはシエスタ中、しばらく待っているとお出ましになった。博物館を自ら案内してくださったが、途中で丸紅の副社長夫妻が来訪したので、その間私にインカの織物がびっしりつまっている棚の引き出しを自由に開けて見ているように言われた。「勝手に開けて見てよい」ということに感激しまくって、端から端まで開けてみた。そしてもちろん、天野さんの解説も心に残っている。「インカ帝国は素晴らしい社会だったのですよ。きれいなピラミッドを形成した社会でしたが、上の者が下の者を搾取などせず、富を分配し、共同して平和な社会を作っていたのです。素晴らしい社会を」
天野さんが黄金製品のことよりも石の巨大建築物、ピカピカに光る土器のことよりもインカの人々が生きた社会の素晴らしさについて、目を輝かせながら話してくださったのを決して忘れない。遺物をみることによってそれを作り、使った生身の人たちを見ることの大切さを学んだ。
 天野博物館を辞去する時はすでに暗くなっていた。近くのタクシー乗り場まで天野芳太郎ご自身がベンツに乗せて送ってくださったことも私の自慢話(話す機会はほとんど無いが)となっている。

 そういうことで、アンデスならレプリカでも何でもよいから参加しよう、と気軽に出かけたのがまずかった。顔を出したことによって、科研の仕事に引っ張られ、レプリカ法を駆使しての縄文のマメ探しに陥ることになってしまった。
茅野市尖石縄文考古館でレプリカ法の講師を務められた丑野さんは、アンデスの調査では現物を国外に持ち出すことができないため、そのモノ、つまり遺物をしっかり観察し、情報を引き出すにはどうしたらよいかと考えた末に、印象剤(歯科用シリコンが最適)を使うレプリカ法を編み出した人だ。
レプリカ法の道具一式(株パレオラボ製)
残されたものから多くの情報を得るためには、前回記したフローテーション法、そしてレプリカ法がある。シリコンを使うレプリカ法は資料を壊したり、汚したりせずに精度の高い情報を引き出すことができる。例えば、石器の場合は石器を作るために使用した道具とその道具の使い方まで分かる。また石器の用途も明らかになる。土器からは、イモムシ、ヨツボシカマキリ、モミ、マメの圧痕、土器を作った人の手のひら圧痕、使った道具(施紋具)、混ぜた繊維、木の葉の跡などがみつかる。丑野さんはフランスから呼ばれて渡仏し、プロヴァンスにある15世紀に作られた祭壇を調べたことがあるそうだ。その際、木製祭壇を作った時の刃物を動かした断面で道具を使った角度が判明し、道具は丸ノミ、使われたニスの刷毛の種類などもわかったという。
種子圧痕レプリカ
虫の圧痕レプリカ
  現在、私たちの科研では「八ヶ岳山麓縄文時代中期のマメ栽培化過程」を明らかにしようとしている。そのためにフローテーション法で土壌の炭化種子を探し、レプリカ法で土器の中に埋まっているマメを見つけ出している。この両輪の輪を使って、縄文人たちの食生活が単なる狩猟採集ではなく、植物を栽培し、豊富な食料を得ていたこを証明したいのである。しかも、マメ探しの途中で不思議におもうことに遭遇している。縄文人が土器をつくっている時に偶然マメが入ったとか、面白がって1個か2個入れたというのではなく、一つの土器から100個以上ものマメが出てくることだ。岡谷市梨久保遺跡の土器からはエゴマ圧痕が3000粒、長野県豊丘村伴野原遺跡の土器からはダイズ属、アズキ属のマメが200個見つかった。マメを混入させるタイミングとしては、粘土を練り終わるころに混ぜ込むこともわかっている。縄文人のマメとかエゴマなど特定の植物へのおもいが感じられる。それは彼らの大切なものへの祈りなのだろうか。彼らの精神性を追求しなくては終わらない仕事となりそうな予感がする。「モノを通して、その時を生きた人々をみる」天野芳太郎のように。