3•11福島原発第一事故が起きて以来、「さよなら原発」のステッカーを車に貼って走り回っています。スリーマイル島、チェルノブイリの原発事故は、原子爆弾を落とされたHiroshima ・ Nagasaki の日本にはあってはならない事故だと思いながらも、それまでは遠いことのように考えていました。東北地方太平洋岸沖地震と津波による福島原発第一の事故から3年が経ちましたが、わが国にあってはならない原発大事故から、国民は目をそらされているように感じて仕方ありません。世界に向かって"under control"と大見得を切った首相のもと、根本的な問題は見てみぬふりをしている政府に対して、はっきりものが言えない国民は、不正義の中で暮らし続けているのです。
福島県会津若松駅前には「什の掟て」という看板が立っています。そこには会津藩子弟教育のための「ならぬことは、ならぬのです」という訓戒が書かれています。私は理屈抜きで「ならぬことは、ならぬのです」という勇気が、今、この時に必要だと強く思います。子供に「ならぬことはならぬ」と教育しなければ、ロクな人間に育ちません。「そうね、そうだよね」と、他人に合わせて暮らしていくのは、丸く収まり容易いことでしょう。でも、はっきり言うべきことを言わなければ、世の中よくなっていきません。だから私は「さよなら原発」と発します。
2014年9月に「気候変動サミット」が国連で開催されました。その際、「この星で私たちが生きていくための最大の課題に取り組むのは、今でしょ!」とディカプリオ国連平和大使がスピーチしました。その課題とは、再生可能エネルギーを使うことだそうです。日本の首相といえば、わが国の温暖化ガス削減を明示できず、排出枠を言えないままでした。原発再稼働に舵を切っている『日本をとりもどそう』首相には、後ろを振り帰らず、前を向いて歩いてほしいです。でなければ、今起きている地球の気候変動や社会変動に、日本は取り残されていくのではないでしょうか。今や変質の時代が来ているのです。私たちの生活も変質していかなければ、人間としての存在が危うくなるのではないかと心配です。ですから、自己の欲望のままの消費一辺倒ではなく、慎ましい生活を送るのが、変質への第一歩だと思っています。ディカプリオは個人レベルの省エネだけでは追いつかない、世界中の産業界や政府が断固とした大規模な行動を取るべきだ、と話しました。
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このススキ野はもうない
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1964年、長野県富士見町では三菱マテリアルが約9.8haの土地を購入、セメント工場を作る計画が持ち上がりました。八ヶ岳を望み、南アルプスの見える広大な原野、その一部は湿地帯ビオトープです。当時、住民の猛反対と、その近くの白林荘(犬養毅の元別荘)の所有者山縣勝見が音頭をとって反対したので、その計画は頓挫しました。それから50年近く、約30万坪の原野には鹿が走り回り、雉の住処となり、秋には箱根の仙石原に負けずとも劣らないススキ野が広がっていました。この30万坪を一周する小道は、私のお気に入りの散歩コースでもありました。過去形で書くのは、この秋その草原が消滅したからです。今まで散歩に出るたびに、一企業が所有する原野がいつまで保全されるのかと、心配でたまりませんでした。しかしとうとう、その心配が現実になってしまったのです。
草原が消滅した土地には、名古屋の中国資本の入るディベロッパーが20年間事業でメガソーラー発電施設(出力5MW)を作り、中部電力へ送電する予定です。工業団地誘致に失敗した富士見町内には、すでに8MWのソーラー発電施設が完成しています。聞くところによると、九州電力ではソーラー発電が急増したものの、電力供給が不安定なため、需給バランスがくずれるという問題が持ち上がっているようです。九州でそんな状態なのに、自然を破壊して、20年間事業を安定継続できるか疑問です。9月には原野が消え、今やオレンジ色のケバケバしい柵が張り巡らされています。
再生可能エネルギーでは、とくに地熱、バイオマス、太陽熱、水量発電が安定して電力を供給できるようです。また、水力発電でも小型水力発電なら自然破壊を引き起こさず、日本の水資源活用には最適のようです。いつだったか、BS日テレ「小さな村の物語 イタリア」に、100年も前に作られた水力発電装置を守っている村人が出てきました。その古い小さな装置を大切に扱う姿が、大変印象に残りました。
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9月14日空撮 真ん中が現場
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木々は倒され |
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刈り取られたススキ野 |
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醜いフェンス |
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そらきたソーラー |
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富士見町のメガソーラー発電施設の一部 |
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鉄条網が張られるかも! |