「什の掟て」
一、 年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。
二、 虚言をいってはなりませぬ。
三、 卑怯な振舞いをしてはなりませぬ。
四、 弱いものをいじめてはなりませぬ。
五、 戸外で物を食べてはなりませぬ。
六、 戸外で女の人と言葉を交えてはなりませぬ。
七、 ならぬことはならぬものです。
会津若松駅前には、「ならぬことは、ならぬものです」という大看板が立っています。
会津藩には「什」という子弟を教育する組織があり、そこで教えられた訓戒で、今でも
会津の人々の大切な教えとなっています。
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鶴ヶ城 |
2006年と2009年に会津に出かけて以来、すっかり会津贔屓になった私は、今年のNHK
大河ドラマ『八重の桜』を毎回楽しみに見ています。そもそも『山川健次郎伝ー白虎隊士
から帝大総長へ』(星亮一著、平凡社)を読んだのがきっかけで、私はどうしても会津に行きたくなり、2006年に新撰組と幕末史に詳しい友人と二人で出かけました。
当時、鶴ヶ城を案内してくれたボランティア女性ガイド大塚さんの説明は、今思い出しても胸が震えるような迫力のあるものでした。長州兵に犯された少女は「敵の子だ」と
生まれた子を殺害した、薩長軍の大砲の轟音の中での生活の話など実際に肌で知っていた
人々から直接聞いたことを語ってくれました。その語り口は淡々としたもので、いささかの誇張や怒りを交えてのものではなかったことが忘れられません。大塚さんに「何処から来ましたか」と聞かれ、和歌山が出身地である私は、紀州がさっさと薩長側についたのを思い出し、「西の方から」と逃げると、彼女は「みなさんそう答えられますね」と笑っていました。
会津若松市の奥座敷東山温泉の入り口に「会津武家屋敷」という屋外博物館があります。『八重の桜』に登場する会津藩家老西郷頼母の屋敷が復元されていました。閉館間際に入館したこともあり、西郷頼母の母、妻、娘たちが自刃したありさまを薄暗がりで見た時は、身の毛が弥立ちました。
戊辰戦争は日本の内戦civil warであり、会津藩が味わった悲惨さ、無念さは、会津に行かなければ理解できません。幕末の流血の上に現在の日本があることを私たちはしっかり認識すべきだと、2006年秋の旅で教わりました。
2009年の会津への旅は母のお供で、母方のルーツを探る旅でした。直江というのが祖母の嫁入り前の名前なので、母は自分が直江兼続の子孫だと信じていました。兼続には子供がいなかったので、「そんなわけないわよ」と私は思っていましたが。会津経由で米沢なら結構と、プランを立てました。2006年の時に、会津に再び来られるならこの宿と決めていた「渋川問屋」を、福島の友人に頼んで予約してもらいました。大問屋の蔵を改造したもので、大正ロマンあふれる極上の宿でした。友人のおかげでご亭主自ら接待して下さったことは忘れられません。現在、福島の友人は、地震と原発事故で苦労されています。
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渋川問屋 |
「渋川問屋」は町の真ん中の七日町にあり。味噌田楽で有名な「満田屋」や会津絵ろうそくの店「ほしばん絵ろうそく」も近くにあります。「江戸の灯りは会津から」と江戸時代に言われたほどで、漆の実から採る会津の漆蝋は評判が高く、江戸で使われたろうそくの7割を占めていたそうです。会津の絵ろうそくは、主に武家や寺院で使われていました。
四季折々の花が描かれた絵ろうそくは、雪深い会津では冬に花を仏壇に供えることができないので、その代わりに供えられていたものだと、2006年に鶴ヶ城ガイドの大塚さんから聞いていました。それ以来、会津の人々は剛毅だけではなく、皆やさしいこころの持ち主なのだと思っています。
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会津絵ロウソク祭り |
会津若松駅前に堂々と掲げられている「ならぬことはならぬものです」の訓戒を、私たちは胆に命じるべきです。原子力発電所はあってはならぬものです。先生やコーチが子供に暴力をふるう、柔道を教える人が暴力 • 暴言を用いるなど、絶対にならぬものです。「ならぬものです」の教えは、人間の尊厳を守り、品位を高めるものだと思います。 ロンドンオリンピックの柔道で、金メダルを取った選手に対する監督の態度と表情をテレビで見て以来、私の胸のつかえとなっていました。やはり納得のできないことがあったのです。
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磐梯山 |
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大内宿 |