2017年2月10日金曜日

8500年前のシルク!



 絹というと、シルクロードがすぐ頭に浮かぶ。養蚕は中国が発祥の地であり、そこからユーラシア大陸を西へ東へと漏れ伝わったのがシルク伝播の始まりである。漏れ伝わったというのは、絹は当時の最高機密で厳重に守られていたからだ。ところが、昔からリークする輩がいるもので、東へは、紀元前200年頃、難民や移民として朝鮮半島に住み着いた中国人を通じて養蚕技術が海を渡り、弥生時代の日本列島に伝わったらしい。西への伝播は、東よりも数世紀後のこととなった。紀元100年頃、ホータン国へ嫁いだ中国の王女は国禁を破り、自分の結い上げた髪の中に桑の種と蚕の卵を隠し持ち出したことによって、西アジアそしてインドへと養蚕が拡がった。さらに、紀元600年頃にはユスティニアヌス帝統治下の東ローマ帝国にも伝わった。絹の土地という意味のセレス(北インド、中国ともいわれる)から来たネストリウス派(古代キリスト教の一派で唐時代には中国に伝わり、景教となった)の僧が馬の糞の中に蚕を隠し、温めながら、これまた密輸により皇帝に捧げられたのだった。
  なお西方では、古代エジプト遺跡から中国絹の段片が発見されているし、古代ローマでも絹は贅沢品としてローマ上流階級でもてはやされた。そしてローマ帝国は絹を求めてエジプトへ、さらにはインドへ海路進出したことがある。



 養蚕は、中国河南省の仰韶文化(7000年~5000年前)に流れをもつ龍山文化(5000年〜3000年前)で野蚕から家蚕へと飼いならされたのが始まりであることが、考古学上実証されている。ところが、絹織物が作られ始めたのはそれよりも古く、8500年前の斐李崗文化からだという新たな説が2016年に発表された。

   現在の中国河南省は古代中国文明の発祥地で、斐李崗文化、仰韶文化、龍山文化などの新石器時代遺跡が多数ある。また、安陽(殷墟)、鄭州、洛陽、開封などの古都を有する中国文明の基となる「中原に鹿を逐う」地だ。


 河南省賈湖遺跡は9000年前の新石器時代の遺跡で、賈湖契刻文字や鶴の骨で作られたフルート(横笛)で有名だが、そのほかにも2004年にペンシルベニア大学考古学人類学博物館の分子考古学者パトリック・マックガバン教授が、土器の破片からアルコール成分の残滓を発見している。化学分析の結果、はちみつ、サンザシ、ブドウ、コメなどの成分が含まれていることが分かり、清酒とワインをごちゃまぜにしたようなものであるとおもわれた。マックガバンはこの成分分析に基づいて、アメリカ・デラウエア州のビール醸造所で酒の復元を試みたところ、透き通ったシャンパンのようなものができあがったという。賈湖遺跡で大量に出土した土器は、酒造りに使われたものだとマックガバンは言う。

 このように高度な文化をもつ事ことが次々とわかってきた賈湖遺跡で、ついに世界最古の絹の成分が発見された。2017年1月11日のancient-origins.netの Mark Millerの記事によると、賈湖遺跡で8500年前の絹成分が発見されたという。賈湖遺跡の3基の墓から布を織る道具と骨角器製縫い針が見つかり、さらに墓の土から絹のタンパク質を採取することにも成功した。道具と絹の分子が見つかったことにより、賈湖人は絹織物の技術を持っていたことになる。この絹の発見は、古代中国文明史上のエポックとなり、これからの古代研究に拍車をかけるものとなるようだ。


 ちなみに、河南は絹織物発祥の地であるという伝説も伝わっている。蚕のエサとして重要な桑の原産地は、中国北部から朝鮮半島といわれるが、湿潤で温暖な黄河流域河南も桑が育つ最適な地域であった。蚕にとって大切な桑の葉は、カルシウム、鉄分、カリウム、亜鉛、ビタミンB₁、B₂、C,ポリフェノールなどを含む。人間にとっても大切な植物で、葉や根皮は古くから生薬として重宝されてきた。漢方では「桑椹」といい、利尿、血圧降下、解など薬効がある。タイのチェンマイで桑(マルベリー)の樹皮で紙漉きをし、和紙と見まがうような出来栄えの紙を見たことがあるが、中国元時代には紙幣の素材として桑の樹皮が使われていた。


  桑の話が長くなったが、中国神話伝説の三皇五帝時代の皇帝である黄帝の妃、西陵氏は桑の木に白い蛹を見つけ、手でもてあそんでいると糸のようなものが引っ掛かった。それを指に巻いていくと中から虫が出てきたので桑の葉を食べる虫だと興味がわいた。ある日、桑茶を飲んでいる時、手にしていたサナギをお茶の中に落としてしまった。すると白いサナギがほどけて、白く透き通った糸が簡単に取り出せた。それが絹織物を作るきっかけとなり、妃は糸巻き、織機を考案して絹織物の製法を築いたと伝わっている。
  伝説はともかく、少なくとも中国・前漢時代には、蚕室での温育法、卵の保管方法などが確立し、野蚕から家蚕へと養蚕技術が進み、絹織物が高価な貴重品としてシルクロード交易の重要な役目を果たすようになっていったのだった。

写真はancient-origins.netから。斐の文字は正しくない文字。