2016年4月28日木曜日

木曽谷 はなもも街道

  去る4月25日、南木曽町、大桑村、上松町、木祖村、王滝村、塩尻市が申請していた「木曽路はすべて山の中〜山を守り 山に生きる〜」が日本遺産に認定されたということだ。
  兵庫県西宮市から長野県富士見町へ行くには国鉄中央西線か国道19号線しかなかった時代の思い出といえば、木曽川の景勝地「寝覚の床」を通りがかる毎に「何で浦島太郎がここで目を覚ましたの?」と不思議に思ったこと、「くるまや」でお蕎麦の美味しさを知ったことだ。中央道が開通してからは、トラックに前後挟まれての渋滞19号から解放されたが、それと同時に木曽路とは縁が遠くなった。

  中央道は、天竜川の河岸段丘と盆地が続く伊那谷に沿って走っている。伊那谷と木曽谷とはほぼ平行しているから、木曽山脈(中央アルプス)を越せば伊那谷と木曽谷は行き来できる訳だが、山々の難所で阻まれていた。やっと10年前、2006年に立派な権兵衛トンネルが開通したので、伊那谷から木曽谷へ簡単に行けるようになった。ということは、現在住んでいる富士見から木曽へ行くのも便利になった。

 もう一つ 、伊那谷と木曽谷を結ぶ山の中の道がある。それは清内路村を通って行く道だ。19号線を走っていた頃から清内路という名前になぜか心惹かれていた。そこの峠は冬季通行止めだったので、清内路という村はさぞ辺鄙な場所だろうと思って調べたら、そこは木地師の村だということを知った。木地師は白洲正子の本で知ったのだが、轆轤(ろくろ)を使って木の椀や盆を作る人々のことをいう。漆器の好きな私は、いつか清内路村の漆畑に行きたいと考えていた。


  清内路村へはいつもは通過点でしかない中央道・園原インターから行ける。しかも、「はなもも街道」と名付けられたその道は、清内路村から南木曽町の妻籠宿へ、さらに19号線に抜けられる。昼神温泉では花桃が満開だと聞いて、今年4月14日に出かけた。

  昼神温泉のある阿智村は花桃が満開だったが、園原インター近くの月川温泉の花桃の里は、まだまだ寒々しい風景であった。これでは清内路もまだ咲いていないなと危ぶんでいたが、その予感は的中した。清内路は桜が満開だったが、花桃はまだつぼみだった。清内路村漆畑の木地師の店を2軒ほど見て回り、カネキン小椋製盆所でフリーカップ(多用途カップ)を買い求めた。




   漆は縄文時代からの日本の伝統技術である。漆は大陸から伝わったと言われてきたが、近年の研究で、漆の木は日本原産ではないが、古代から漆を使う技術はどこよりも抜きん出ていたことが分かっている。日本はJAPANなのだ。縄文時代の遺跡で有名な福井の鳥浜貝塚、青森の是川遺跡では素晴らしい漆器の飾り櫛、椀、弓などを見て、うっとりとなった。小さい頃、和歌山の祖父の家で漆の高膳に並んだお椀類を触って育ったので、陶器より漆器の方が私にはしっくりくる。


  清内路峠には新しいトンネルができ、道も整備されていて走りやすかった。その後、妻籠宿をぶらぶら歩き、平たい三河の五平餅とは違う、コロコロした丸い五平餅とお蕎麦を味わった。それから19号線に出て福澤桃介記念館に入り、懇切丁寧な説明を受けた。桃介がミュンヘンから花桃の苗木を持ち帰って木曽の発電所に植えたのが、今や木曽谷のあちらこちらで見られる美しい花桃の始まりという。しかし、花桃を広めた福澤桃介は少しヤクザっぽくてあまり感心できないような人に思えた。
  (福澤桃介は木曽谷数カ所に発電所を作り、電力王と言われている。福澤諭吉の婿養子だが、川上貞奴との仲は公然の秘密であった。)


                                      上の写真は福沢桃介記念館の花桃