2015年6月30日火曜日

瀬戸内ドライブ旅 その1 京都〜松山

瀬戸内ドライブ旅 その1

 行楽シーズンの端境期である梅雨入り前は、旅をするには最適だとおもう。西に向けての旅に出発した5月末日は快晴で、高速道路はガラ空きだし、いつもは混む日曜日の京都も静かなものだった。
濱登久
 八ヶ岳西南麓富士見を7時に出発し、中央道から名神高速道路に入り、京都東インターで降り、東山浄苑で両親のお墓参りをした。そして、昼食にキツネうどんをいただいた。お墓でキツネうどん? 東山浄苑の「濱登久」は法事などで利用できる本格日本料理なのだが、ここのお揚げさんの味付けが、まことに上品で美味しい。そのお揚げさんの入っているキツネうどんをお墓参りの時には必ずいただくと私は決めている。
東山浄苑本堂
 東山浄苑は、真宗大谷派(東本願寺)から分かれた本願寺文化興隆財団が経営する墓苑である。納骨仏壇堂は、風雨が強くても地下の駐車場からエレベーターで上階へ進み、快適にお墓参りができ、しかも場所は京都東山ときているので、交通の便はよく自然豊かである。その日は新緑が東山の青空に映え、清々しく爽やかなで気持がよかった。父が長男なら和歌山市までお墓参りに行かなくてはならないけれど、四男だったから、こんな便利な快適な場所にお墓を作ってくれたことは、よかったと来る度に感謝している。好物のキツネうどんもあるし。

納骨仏壇 
  京都東山を後にし、弟がいる岡山県玉野市へ行くために、京都の町中を通過して京都南インターから高速道路に乗ったが、京都市中の道も驚くほど車は少なく静かだった。

 このたびの瀬戸内の旅は、弟の「大和ミュージアムに行ってきたら?」というひと言から始まった。それは弟たちの気に入りの日本料理「おく村」へ行ったことがきっかけだった。そこは広島県福山市にあった。福山なんて遠いところと思っていたのが、弟の住む岡山県玉野市からは1時間ほど、いつも連れて行ってくれる赤磐市(岡山市の隣)の鮨「ひさ田」へ行く時間とどっこいどっこいだったのには驚いた。「ひさ田」は全国的にも有名な寿司店で岡山県吉田牧場のモッツァレラなどを握ってくれるが、意表をついたものを得意としているわけではない。気さくな鮨マスターは清酒のチョイスもよく、ワインもお鮨にあったものをグラスワインで選んでくれるのはうれしい。今回行った福山の「おく村」は京都出身の板前マスターでまだ若いが料理のセンスはとてもよく、これからが楽しみな店と感じた。
「おく山」にて
   弟の一言に続いて、大和ミュージアムのある呉までのルートもすぐ頭に浮かんだ。宿泊している玉野市渋川海岸にある「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」から20分ほどの鷲羽山麓から「瀬戸大橋」を渡り、四国の自動車道を走って、「しまなみ海道」の幾つもの島を渡る橋を通り、尾道で一泊すると、軍港呉はすぐだと、考えを実行に移した。
 
瀬戸大橋が真正面に見える渋川海岸
 「天気晴朗ナレドモ波高シ」秋山参謀が打電させた有名な電文である。バルチック艦隊を撃破した東郷元帥の話など戦記ものは、叔父たちが集めた講談社の絵本を小さい頃に読みあさって親しんだものだ。そういえば、絵本はたくさんあったけれど、積み上げられていた本は「爆弾三勇士」「白瀬大佐の杉野はいずこ」などで、女の子用のはなかったなどと、車の中で思い出していた。瀬戸大橋を渡り、松山道を走っている時、ここまで来たならちょっと足を伸ばして、秋山参謀の故郷松山城を見たいとドライバーにお願いした。ドライバーは「松山ならさらに足を伸ばしたいところがあるだろう」と言う。そうなのだ、軍国少女は、今は考古学バアさんになっていたのを思い出した。松山から60キロほどの久万高原には縄文時代早期・草創期の「上黒岩岩陰遺跡」がある。「行こう!」『つづく』