2015年4月8日水曜日

縄文のマメ探し奮闘記 その1

その1:炭になったマメ(炭化種子)探し

 数年前の早春、やっと雑草が芽吹いた頃、東京都葛飾区水元公園で野草を食べる活動をしている知人が、この辺り(富士見町)なら野草がたくさんあるだろうとメリケン粉やてんぷら鍋など一式車に乗せてやってきた。そして庭の足元にある草を見て、これはOK、これもだと若芽をちぎってまわった。するとそのうち庭から出て、野草を探してとうとう富士見町中を歩きまわった。ツクシはもとよりタンポポ、カラスノエンドウ、ノビル、ニワトコ、それにヤマミツバなどを採りまくり、天婦羅にしてご馳走してくれた、なるほど草も美味しいものだと雑草を見直した。

縄文時代から自然豊かな富士見町
庭にはヤマミツバはいっぱい見つかるが、ノビルはないから他所から引っこ抜いてきて増やした。後日、植物考古学者の佐々木由香さんに、「ノビルは庭になかったので、他所から引っこ抜いてきて自分の庭で増やした。きっと縄文人も美味しいものを自分の近くで増やして食べていたに違いない」と話したら「ふんふん」と同意してくれたので、縄文人は美味しい雑草を身近で増やして食べていたと確信している。人間の普通の成り行き、感性だとおもっている。そのような簡単な作業は栽培cultivationではなく園芸horticultureであろう。(後日知ったことだが、山梨県立博物館の中山誠二さんもhorticulture園耕という言葉を使っている。)

 八ヶ岳山麓富士見の自然環境の中で、漫然と縄文人の食べ物を考えていた私は突然、「縄文のマメ探し」に駆り出される羽目に陥った。それは2013年6月4日のこと、日本学術振興会科学研究費補助金基礎研究(B)「中部山岳地域縄文時代マメ栽培化過程の解明」というたいそう難しい題目の手伝いをすることになったのである。リーダー(親分と密かに呼んでいる)の会田進宅(通称・会田考古学研究所)での仕事が始まった。仕事を開始してから知ったのだがお題目とは全く違って単純労働だった。

遺跡から出た土を運ぶ
  ビニールハウスの中での作業が始まった。バスタブのような容器に水をいっぱいに張って、黒い土を入れた。その土を潰さぬようにやさしくかき回すと、黒い物体、よく見ると炭がブワーっと浮いてきた。それを荒い目の金網杓子ですくい取る。そして新聞紙を敷いたカゴトレイに広げる。それからまた同じ作業を繰り返す。最初は大きな黒い炭を取り、すくい取る作業を重ねるごとに、3~4mm、 2mm、 2mm以下と小さいものを分けていく。6月のビニールハウスの中は暑い。汗水タラタラ流しながら、日焼け覚悟の作業だった。

炭を置いた新聞紙カゴトレイは、数日かけて乾燥させる。この黒い炭の中にマメがあるのだというが、そんなことはもちろん信じなかった。ところがある日、総合研究大学院大学の那須浩郎さんがビニールハウスに入ってきた。そして小さな黒い物体すなわち炭を手のひらに広げながら、「ああ、ありますよ。マメ、ツルマメかな?」と言ったので、私の驚きようといったらなかった。半信半疑の過酷な労働が報われた瞬間だった。

ゴミの混ざった中からマメを探す
羽根の先でゴミ、木片をよりわけマメを探す

やっと炭化種子を発見
那須浩郎さんは葉山にある総合研究大学院大学先導科学研究科の上級研究員で、遺跡から出土する植物遺体の分析研究を通して、過去の農耕や人々の食生活、遺跡を取り巻く環境の復元に取り組んでいる。

研究室での那須浩郎さん
フローテーション法 
 炭化した種子は、主に炉周辺の土や火事になった住居から出てくるが、水分の多い土壌の中で還元状態になると、自然に炭化する場合もあるという。炭化した植物種子を効率よく収集する方法として、フローテーション法が用いられる。これは比重の軽い炭化物が水中で簡単に浮かび上がってくることを利用した、炭化物と土壌の分離方法である。暑いビニールハウスの中で黒い土と格闘しながらしていた作業は、このフローテーション法だった。採取した炭化種子は実体顕微鏡でチェックし、必要に応じてC14年代測定をおこなう。
フローテーション法のよいところは、住居址の年代と炭素14年代測定値、そして必要に応じての破壊検査で確実に年代がわかることである。


那須さんが描いたフローテーション器具 
なぜ、縄文時代のマメを探すのか?
 縄文時代は狩猟採集の時代であって、農耕はなかった。米が長江流域から伝搬してきてから日本列島で米の栽培、農耕が始まったとされている。でも、よく想像してみると日本人の先祖である縄文人(新石器時代人)が裸同然で野山を駆け回って1万年以上も暮らしていたとは考えにくいし、考えたくない。貝塚や湿地帯の遺跡からは縄文人骨が発見されている。長野県安曇野の北村遺跡の300体の人骨もその一つだ。そこを研究した赤沢威(シリア・デデリエ・ネアンデルタール人復活プロジェクトリーダー)は、人骨のコラーゲン分析をした結果、植物性の食べ物に大きく依存していたことがわかった。特にドングリ、クリ、クルミなど堅果類中心だったとおもわれる、と発表している。
 さらに植物性タンパク質を摂るためにというと大げさになるが、縄文人が自然観察をしてマメもよい食べ物ではないかと考えたのに違いない。ダイズはモンゴロイドの食べ物で東アジアに広く分布していた。アズキも東アジア原産である。ダイズの野生種はツルマメ、アズキはヤブツルアズキである。ダイズの栽培種は野生種より体積では10倍大きいがタンパク質は野生種の方が5~10%多い。この素晴らしい資源を賢い縄文人が放っておくわけがない、彼らは品種改良に務めたらしく、縄文時代中期4,500年前には大型のダイズ属種子が出てきている。現在行っている「縄文時代中期のマメ栽培化過程の解明」で、ダイズ属とアズキ亜属のマメ、もっと大きなサイズのマメをたくさん探し求めている最中である。




 次のブログでは、土器に残されている圧痕(小さな穴)に印象材シリコン(歯医者で使う)を入れて型取りをする方法でマメを探すレプリカ法について書こうと思う。