2014年1月29日水曜日

タイランド


ラーチャプルック 国王の花
    タイ王国では、このほどインラック・シナワトラ首相によって国家非常事態が発令された。日本のニュースコメンテーターらは「タイの情勢は複雑で、、、」と言葉を濁す。

    父からタイ人の学友(慶應義塾大学)ソンマイさんの話を小さい頃から聞いて育ったので、私は断じてタイ贔屓である。しかもソンマイさんは大蔵大臣を長年にわたって努め、国王の寵臣であった。ソンマイさんの火葬式には、国王夫妻、皇太子も参列なさった。それをこの目で見ている私は、王様を大尊敬しているなどと硬いことは言わずに、ファンである。そして、タイの動向を誰よりも案じ、注目している。

Hua Hinの離宮を守るタイ海軍軍艦
   1992年に起きた王宮前広場でのデモ隊と軍の衝突の際、プミポーン王にスチンダ首相とチャムローン元バンコク都知事が跪いて拝謁し、王の和解を受け入れたニュースは世界中を驚かせた。でも、現在、国王は心臓病で体力もお衰えておられるので、タクシン一派と反タクシンの衝突はどう収まるのか。

ソンマイさんファミリー 2014年1月
タクシンが首相になった時、ソンマイさんの家族もタクシンを応援していた。しかし、タクシンの不正疑惑が明らかになってからは、反タクシンになっている。今回のデモにも、ソンマイさんの息子は70歳なのに頻繁に参加しているという。そして、タクシンの傀儡である妹のインラック政権を"The Corrupted Government"と非難している。

    日本のテレビコメンテーターは「タイは中華系が牛耳っているから、それもあるでしょう」などと発言しているが、現在のタイでおいそれとタイ系か中国系かを見分けるのは難しい。中国系の人々は昔の排斥運動以降はすっかりタイに同化している。ソンマイさん一家は三世代前に海南島から来た中国人だし、タクシンもタイ北部チェンマイでは裕福な中国系である。

 ということは、バンコクと地方の貧富の差から問題が生じ、現在の情勢に至ったのだろうか?

ランプーンーチェンマイ間の古い街道
 タクシンはチェンマイ出身だ。タイシルクのジム・トンプソンと並んで有名なシナワトラシルクは、タクシン・シナワトラの親戚が経営している。チェンマイにはバンコクよりも古くから中国人が住み着いており、大商人が多い。なぜバンコクより古くから中国人がいたのか。それはチェンマイが古都であるからだ。それもバンコクの王朝の古都ではなく、ランナー王国の都であった。同王国は、1931年にバンコクの政府に統合された。


毎年2月恒例のチェンマイフラワーフェスティバル
 ガーイさんというチェンマイ大学農学部教授の奥さんは、バンコクナンバーの傍若無人な駐車の仕方を見て、「南の人は行儀が悪い」と怒っていた。ランプーン博物館を案内してくれた際には、「バンコクの政府はチェンマイの言葉を学校で教えるのを禁じ、ランナー文化を抹殺しようとしている」と嘆いていた。そういえば、タイの国史を読むと、ランナー王国はどこにも出てこない。スコータイに始まり、アユタヤ、トンブリ、ラッタナコーシン(バンコク)と単線的な国の歴史をよしとしている。



 タクシンは政権を取った当初、医療費を無料にした他にもきめ細かい政策を行ったので、地方の人には大いに受け入れられた。チェンマイ出身というだけで支持を得たわけではないだろうが、ランナー文化をバックに持つ人たちには、我らの味方という心情がタクシン派支持に繋がっているのだと私はおもう。単線的に物事を考えない方がいいな。日本人は白か黒かをすぐ決めたがるが、世界にはそれだけでは決められないことが多い。


バンコクからチェンマイへの鉄道 

2014年1月12日日曜日

壽初春大歌舞伎

元日の富士山(精進湖より撮影)
  お正月三箇日は天気に恵まれ、穏やかなよい日々であった。しかし、脳天気な首相に引きずられている感のある日本国を憂う日々でもあった。首相は私の好きな長谷川町子の「意地悪ばあさん」を読んで、意地悪する絶妙なタイミングと知恵を学んで欲しいとおもう。意地悪するにはユーモアがなければただ人の嫌がることをするだけなのだから。他人の嫌がることをするのは賢くない証拠だ。


 そうこうしているうちに1月7日になった。剛毅な従兄が「壽初春大歌舞伎」1階西5の1番すなわち花道側桟敷席に招待してくれる日なのだ。昨春、新歌舞伎座が完成したので、ご招待がくるかどうか案じていたが、暮れに従兄から「歌舞伎座新開場柿葺落 壽初春大歌舞伎」への招待メールが届いた。早速、私は例年のように、夫同士同大学同学年卒、妻同士同大学同学年卒、しかも娘同士も親と同じ女子大同学年だったという珍しい関係にある夫妻を誘った。従兄は毎年4人誘ってくれるのに、何と今年は6人揃えてくるようにとの指示だったので、もう一組親しい夫妻を誘った。素晴らしい従兄のおかげで得意満面、意気揚々と6回目の新年歌舞伎鑑賞へ出かけた。

歌舞伎座玄関の様子を2階から
地下鉄からつづく「木挽町広場」の人波をかき分け、正面入り口に到達した。正面玄関前は広くなり、歩道まで人がはみ出すことはなくなっていた。正面破風は大きくなり、カメラに入りきれない。建物の中に入ると、新しいが違和感はなく、元通りの『イラッシャーイ』でホッとした。

4階

3階
開演までのひととき、新館内を見て回った。土産物売り場のごちゃごちゃも、お手洗いの混み合いも解消されて小綺麗になっていた。4階席まで上がり、各階の目線をチェックして席に戻った。

 演目:1、天満宮菜種御供(時平の七笑)
    2、梶原平三誉石切
    3、松浦の太鼓
    4、鴛鴦襖恋睦
幸四郎、吉右衛門の贔屓兄弟出演と好きな演目「松浦の太鼓」だったので、「こいつあはるからえんぎがいいわい」と相成った。


初春の歌舞伎鑑賞が6回目になることに気づいたのは、夫がプログラムを残して置いてくれたからだ。帰宅して、歌舞伎の余韻に浸りながら6冊をめくっていると、2009年の「鷺娘」の玉三郎の艶やかさを思い出した。さらに2010年の歌舞伎座さよなら公演では團十郎の弁慶、勘三郎の義経であった。




緞帳のお披露目