2013年12月31日火曜日

年末、岡山への旅

  クリスマスの飾りを片付ける間もなく岡山へ。年の瀬の忙しい時期に岡山へ行ったのは、弟の会社の創立60周年記念小祝賀会兼忘年会へ招待されたからだ。恐れていた高速道路の渋滞は行きも帰りもなく、スムーズだったのはよかった。

  岡山に着いた翌朝、ポートオブ岡山からモーターボートで犬島、牛窓へ。犬島には1909年に建設された銅製錬所があったが、現在、その遺構は近代化産業遺産に指定され、さらに犬島製錬所美術館として新しい装いを凝らしている。美術館は日本の近代化に警鐘をならした三島由紀夫の思想をモチーフにしたアートワークで構成されており、迷路を抜けたり、鏡のマジックがあったりなど、摩訶不思議な空間である。しかし、趣向を凝らした美術館より、外の製錬所遺構を見て歩く方が私は好きだ。公害に注意をはらうこともなく、まだ船の利用が活発だった明治の頃を思いながら瀬戸内の海を眺めると、自然に歴史が体感できる。製錬所跡地の壁を作っている黒い煉瓦の黒光りに魅せられていた私は、二回目の犬島再訪で、それをまた見ることができてうれしかった。

  美術館を出ようとした私たちを呼び止めたオバアさんに、黒い煉瓦を何というのか知ってるかと尋ねられた。急いでいたので関わりあいになりたくなかったけれど、正直に「知らない」と言ったのがまずかった。「知らないとはここに来た価値がない。カラミレンガと言って、銅を製錬したカスの鉄とガラスでできている。だから縞が入り、ところどころ光っている。それを知らずにどうするか」という風に怒られた。「きれいだと思っていて、また見に来れたのを幸せに思ってる」と言い返したかったが、時間がないので素直にお礼を言って退散した。あのオバアさんは若い美術館員も一目おく島びとらしい。

                       
カラミレンガ



   犬島の次は、牛窓リマーニ(天満屋のリゾートホテル)のマリーナにボートを留めて、「ちょい蕎麦庵」へ。岡山でもお蕎麦かと思ったが、弟が誘ってくれたのだからとついて行った。そこは翁の創始者「翁達磨」の弟子の店で、案の定、こだわりの店で一日20食限定、来たもん順。幸いにも二番目のグループだったので、暖簾がでるとすぐ入店できた。  
   今日は4種類の蕎麦から好きなのを選ぶ。選んだ会津の蕎麦と北海道の田舎蕎麦は美味しく、そばつゆも洗練された味で納得のお蕎麦だった。蕎麦屋の主という者は概して無愛想で、食わしてやるという感じが私のイメージだが、ちょい蕎麦庵主は腰が低く、丁寧で、愛想のよい人だった。客を出迎え、お茶を運び、お蕎麦の説明から調理、お運びまで、たった一人でこなしていた。「信州から来ましたが、信州のお蕎麦はどうでしょう?」と訊ねたら、「長野の蕎麦もよいが、長野県内で消費してしまい、こっちには廻って来ない」との返事だった。長野県人は蕎麦しか食べないのかな?

ちょい蕎麦庵店内
                 

 帰る日の朝、後楽園を半分ほど見て廻った。ゆっくり見物しなかったのは、京都でお墓参りするついでに「逢坂山、日本一のうなぎ かねよ」でお昼を食べる予定を組んだからだ。久しぶりの後楽園は、その広さに驚いた。「お殿様は広大な庭園を歩いて疲れると、家来に命じて床几を持ってこさせたのだろう。私も家来が欲しいな」とつぶやきながら、茶屋でお抹茶を一服。そのあと岡山を出たのは昼過ぎだった。
 
 「かねよ」に電話して、今日の営業は何時までか訊ねたら、「今年最終の営業ですので、3時には終わらして貰います」との返事。3時には間に合わないと諦めてしまったが、道は空いていたし、ドライバーが猛然とスピードをあげて運転したので、2時半には京都東インターに到着。かねよに電話すると「大丈夫です。お部屋もありますよって気いつけてお越しやす。おおきに」
 
  お墓参りの前に「かねよ」で日本一のうなぎと、これまたマイウーの鰻巻きを伏見の銘酒キンシ正宗でいただく。先に「かねよ」に行ってしまったので、うなぎのついでのお墓参りとなってしまったようだ。

後楽園
            


2013年12月3日火曜日

夙川のクリスマスツリー

 今年は突然思いついて、小さい樅の木を近くのJマートで買い、箱に仕舞い込んでいたオーストリアのクリスマスオーナメントを取り出して飾りつけをしました。

今年のクリスマスツリー
ヨーロッパは各国、各地方でそれぞれの風習を守るのが常なので、昔はクリスマスツリーを飾る習慣はありませんでした。なにごともグローバル化したこの世の中、年々クリスマスツリーを飾る家が増えてきているようです。でも飾り方がちょっと変わっていて、12月24日にお母さんがクリスマスディナーを用意している最中に、お父さんと子どもたちが飾りつけをします。それから1月6日の「ご公現の祝日」(東方三博士の礼拝の日)まで飾っておきます。日本では26日になるとクリスマスツリーは街角からすっと消えてしまい、家庭でもお正月の準備に切り替わります。『だから日本の年末は忙しいのだ!』

オーストリアの教会で 
ザルツブルクのレストランの逆さツリー
その昔、夙川駅(阪急沿線)近くの夙川橋の欄干に、クリスマスが近づくとクリスマスツリーが出現しました。当時、夙川に住むドイツ人が毎年子どもたちのためにと近くの花屋さんに注文して飾ってくれていたからです。その季節になると学校の帰り、家とは反対方向なのにわざわざ橋の近くまで行ってツリーの存在をチェックしました。橋のたもとの小さな文房具屋さんもクリスマスの頃は特別賑わっていたようでした。クリスマスツリーのドイツ人がいなくなってからも、しばらくは花屋さんがその人の遺志を継いでくれていました。いまでも橋の欄干にクリスマスツリーは飾られているのかしらと夙川の親友にメールしたところ、「もうとっくにあらへんわ、駅前のロータリーに一つあるけど」と返信がありました。あそこにはないと分かっているのにクリスマスの頃になると、あの小さな橋の欄干に飾られた可愛いクリスマスツリーを思い出すのです。



点いてる灯いてる

標高1300mのクリスマスツリー
現在、私のお気に入りクリスマスツリーは、標高1300mにある原村のツリーです。約22mのドイツトウヒにイルミネーションが灯るのは毎年11月終わり頃。雪が積もっている年もありますが、今年の点灯日は雪もなく暖かい夜でした。