2013年5月27日月曜日

八ヶ岳ファーマーズマーケット

     八ヶ岳ファーマーズマーケットが開かれるのは、今年で4回目です。八ヶ岳の麓には花苗屋が点在しているので、こちらに来た当初は茅野のバラクライングリッシュガーデンから小淵沢のミヨシ、日野春の日野春ハーブガーデンまで、花苗を求めて走り回っていました。
 そうこうしているうちに、「花の小道」の吉田さんと知り合いました。苗の品質はよいし、新しい種類が毎年出て来るし、親切に教えてくれるので、断然、花苗は「花の小道」と決めました。吉田さんと話しているうちに、武田和久さんが運営している社会福祉法人「緑の風」と、花苗とラン栽培農場の「緑風舎」を立ち上げるのに吉田さんが協力なさったことを知ってからは、花のことは、もっぱら吉田さんに頼るようになりました。 
 
 「八ヶ岳山麓原村から北杜市にかけての花苗生産者の市を、三分の一湧水館駐車場でするよ」と吉田さんから聞いたのは2010年のことでした。とても新鮮に響いたのは「原村から北杜市にかけての生産者を集めて」ということでした。八ヶ岳山麓には長野県茅野市、原村、富士見町、山梨県北杜市(小淵沢町、大泉村、長坂町など)が点在しています。しかし、その村、町、市には、八ヶ岳山麓にあるという一体感がありません。それなのに、その人々が一緒になって、八ヶ岳ファーマーズマーケットを開催しようというのです。驚きました。

 八ヶ岳山麓の縄文文化に接しているうちで気づいたのですが、茅野市の尖石遺跡、富士見町の井戸尻遺跡、北杜市の金生遺跡など数々の重要な遺跡があるのに、それぞれの考古館の活動はバラバラで、あっち向いたりこっち向いたりしています。八ヶ岳縄文文化圏を統一して八ヶ岳縄文王国(縄文時代には王様はいなかったのに「王国」は、可笑しいですが「縄文王国」という名は、全国で八ヶ岳山麓の縄文を指して使われています)を作れば、世界遺産登録を目指している三内丸山遺跡を中心とする北海道 • 北東北縄文回廊と渡り合えるのは間違いなしと、常日頃、考えています。でも地域の人々は、それぞれの遺跡を固守してほとんど行き来はありません。統一するなんてことは無理と言われたこともあります。私の夢でしかないのでしょう。

 県境を越えて、八ヶ岳のファーマーズの集りを「花の小道」の吉田さんが押し進めているのを見ていると、若い考古学者たちが地域の古い恩讐(?)を越えて、八ヶ岳山麓縄文王国の夢を実現してくれる時が、来るかも知れません。
              
またまた、縄文の話になりましたが、八ヶ岳ファーマーズマーケットは、第4回目の今年から5月最後の土日9時半からだけでなく、金曜日も12時からと、半日開催日が増えました。三分の一湧水までの平山郁夫通り(旧富士見坂)は車が渋滞するので、八ヶ岳鉢巻き道路から下って行き、11時半には到着してオープンを待ちました。
北杜市のゆるキャラハッピイのお出迎え

緑風舎のブース
日野春ハーブガーデン
金賞  吉田さんの作品 



「今回は駐車場を増やして専門の警備員も配置するよ。コンテナガーデンコンテストは金賞3万円だよ」とコンテストに誘われましたが、急なことだったので尻込み、様子を見ようと出展しませんでした。蓋を開けたら、何と御大将吉田さんが見事金賞受賞!
「ふわっとした感じでインパクトがない」などと私は評してしまいましたが、吉田さんの奥さんは「金賞取ってなんだか大変喜んでる」とのこと。酷評して悪かったなあと反省。審査員は「八ヶ岳倶楽部」の柳生真吾さんです。



喜んでいる吉田さん
Cabinのオーナーの作品  
  毎年のように通った英国のチェルシーフラワーショウは、今年で100回記念。現地では盛り上がっているだろうなと思いながら、寄せ植えコンテストを見て回っていました。すると、とてもシックで、それでいて主張性のあるコンテナガーデンを見つけ、一緒に見ていた友人と「これはいいわね、賞を取ってもよかったと思う」 と話し合いました。           
帰り道、気に入りの雑貨店Cabinに立ち寄りました。そこで、「いいね!」と言っていた
コンテナガーデンは、Cabinのオーナーの作品だったことが分かり、さすがだ、私が審査員なら金賞にする、などと大騒ぎしました。Cabinは富士見坂の途中にある雑貨屋さんで、オーナーとは数十年来の知り合いです。いつも目新しい、好みのよい品物が並んでいます。

 
                                                                              Cabin


レースフラワーとバーベナ(我が庭)
 花の小道のレースフラワー、緑風舎のバーベナ、日野春ハーブガーデンのイタリアンパセリ、ローズマリー、バジルジェノベーゼ、フェンネル、アストランチアなどを手に入れました。                                    
        Cabinのコンテナガーデンは人気投票で3位!おめでとう!                                 
    心の花束  (武田さんのこと) Cabin (雑貨屋)

2013年5月11日土曜日

秘境 秋山郷

 “縄文阿久友の会”の仲間で織物を研究している人に、津南町の「なじょもん」にアンギンと蓑の展示を見に行かないかと誘われました。豪雪地帯の津南!それに「なじょもん」ってなにもん?「蓑って時代劇に出てくるみすぼらしい雨具じゃない?」と思うと、行く気はしませんでした。しかも6月には津南の隣の十日町、長岡への「縄文ロマンの旅」が予定に入っています。

 ところが他に誰も行かないと聞いたとたん、天邪鬼が頭をもたげるました。織り人さんに電話して、天気のよいうちに行こうと、翌日(5月8日)決行が即決まりました。津南町は信濃川火焔街道の入り口(出口?)にあり、「なじょもん」農と縄文体験実習館と津南町歴史民俗資料館に行けば火焔土器を見れるし、アンギンも見ておきたいし。



























 軽い気持ちで出かけましたが、「なじょもん」で見た蓑は、エジプトのファラオの胸当てやインカの羽飾りを連想させるもにでした。意表を突かれたと同時に、圧倒されました。ただの草で編んだものなのに、あの豪華さは何なんでしょう。豪雪地帯での冬の仕事の産物なのでしょうか、労苦を惜しまず作り上げた人々の心根は、火焔土器を作った人々の心情と相通じるところがあるようです。火焔土器は装飾過多ではないかと思っていましたが、そうではなくその地の人たちの性質が現れているものだと感じました。6月に長岡、国宝火焔土器類のある十日町に行くのがさらに楽しみになりました。


 明日は私が運転して行くので予習をしなくてはと、地図を見たり、津南のことを調べたりしていると面白いサイトにぶつかりました。「津南まるごと博物館」というものです。その中に「歴史ロマン」という項目があり、何気なく読んでいると津南町出身の石田吉貞文学博士(1890〜1987)の文章が記されていました。「谷内、赤沢の地には1千年ばかり前に京都から非常に身分の高い皇族、貴族達が来て、およそ300年間住み続けました。そして谷内の地に七堂伽藍のお寺がありました、、、、、、」保元の乱(1156年)で敗れた皇族公家武士たちは上州の新田氏を頼り、津南の赤沢平に落ちのびた人たちは3,000人くらいもいたそうです。彼らは荘園経営で暮らしていましたが、今度は新田氏が足利氏に敗れたので、新田氏の庇護のもとにあった公家たちは一部をのぞき、秋山の渓谷へなだれ落ちたということです。過酷な自然にさらされ、飢えと寒さで凍え、秋山郷で生き残った人たちはわずかだったのです。江戸時代1828年塩沢の人、鈴木牧之(1770〜1842)が十二峠を越えて秋山郷を探訪し、「北越雪譜」「秋山紀行」に記録を残しています。そこには貧しいながらも京都公家の風習を守り、気品や誇りを失うことなく暮らしている人々の様子が書かれているそうです。

 秋山郷に住む人々は平家の落人ではなく、保元の乱で敗れた皇族や藤原氏の末裔だということに妙に納得した私は、時間があれば一目でも秋山郷を見たくなりました。その話に織り人さんはすぐ乗ってくれました。津南町歴史民俗資料館で秋山郷の素朴とは決して言えない豪壮で重厚な雪用具、狩猟用具などの国重要文化財の民具を見た後、さらに奥を目指して、秋山郷へと入りました。

 以前、豊橋から飯田まで153号線を走り、山道の運転に慣れている私は、初めはこんなものかとたかをくくっていました。しかし、そのうちに奥三河などは問題外と思い知らされました。急カーブに続くカーブ。最近はカーブでも猛スピードで対向車めがけて突っ込んでくるバカな運転手がいますし、ふと下を見ると、とてつもない深い谷底です。京の公達たちが転げ落ちるように谷底へと逃げて行った悲惨なさまが頭を過りました。


 秋山郷は新潟県と長野県に跨がっており、今回は新潟県側の半分の地点までしか行けませんでした。一目だけでなくかなり見たのですが、運転と写真撮影は両立せず秋山郷を目に焼き付けてきました。大急ぎの秋山行でしたが、上品な老婦人がいた土産物店で、地酒を買うのは忘れませんでした。

2013年5月1日水曜日

朝日村にある東京堂へ

何十年も前のことです。国道19号線木曽谷をくねくねと走り抜け、塩尻峠に差し掛かるところで、国道が突然20号線になるのが不思議でした。「ここで20号線が終っているのだよ」と教えられても、子どもの頭の中は?マークのままでした。この?マークの地点、塩尻市の「高出」交差点は今でもよく通過しますが、その度にあの不思議さを思い出し、ひとりで苦笑いしてしまいます。

富士見に住んでいる今は、20号線の塩尻峠を下り、20号線が終わるあの地点「高出」交差点を直進して19号線に入ります。塩尻警察署を過ぎると「桔梗ヶ原」の信号があり、そこを右折して、朝日村にある東京堂に向かいます。桔梗ヶ原一帯は葡萄の産地で五一ワイン、信濃ワイン、井筒ワインやアルプスワインなどのワイナリーが点在しています。桔梗ヶ原のはずれで家族3人で経営している城戸ワイナリーは特別美味しいと思っています。困ったことに非常に美味しいらしく、年に二度のワイナリー直売日に行っても、またネット予約しても売って貰えなくなりました。抽選に当たった人だけ発送する仕組みになったので、抽選など面倒なことは大嫌いな私にとっては幻のワインとなりにけりです。

東京堂はフラワーデザイン教室を開いていた時、毎月通っていた花材店です。東京にいた頃は新宿三丁目の本店へ、富士見に来てからはデポのある朝日村のショウルーム • クレアに通っていました。長年のお付き合いでしたが、今月で会員を辞めることにしたので、最後の買い物に出掛けました。東京堂は信州松本空港の近くで、松本平の広大な野菜畑と果樹園の中にあり、近くを通る道路の名前もサラダ街道と名付けられています。リンゴの花が満開でしたが、今春は季節はずれの寒さで3億円の被害がでるらしいです。



東京堂のショウルームクレアは、常時造花やプリザーブドフラワーなどでディスプレイされています。以前は写真など撮る暇もありませんでしたが、今回はゆっくりと撮影してきました。











東京堂に行く必要がなくなっても、サラダ街道は上高地への道ですし、城戸さんに教えてもらったイタリアンレストラン • アルセーバ、松本空港にセスナで時々飛来してくる弟と一緒に行くお蕎麦屋 • 唐松もあるので、19号線から20号線に変わる不思議な地点とのご縁はこれからも続きそうです。